“パリ五輪世代”の期待のアタッカー、斉藤光毅選手(21)。 日本時間23日に行われたU-21日本代表の欧州遠征1戦目・スイス戦では、斉藤選手の絶妙なスルーパスから得点が生まれた。この世代には、欠かせない存在だ。

そんな彼だが、2021年1月、厳しいロックダウン中のベルギー・ロンメルへと単身で渡った際は、当時の街の様子を、まるで“ゴーストタウン”と称し、「日本への未練」でいっぱいだったと明かす。

同じ時期、同じヨーロッパでロックダウンを経験した遠藤玲子アナウンサーが、U‐21サッカー日本代表・斉藤選手をオランダで取材した。

新天地での「もどかしさ」と「冷静さ」

斉藤光毅選手(左)とフジテレビ遠藤玲子(右) ※撮影のため一時的にマスクを外しています。
斉藤光毅選手(左)とフジテレビ遠藤玲子(右) ※撮影のため一時的にマスクを外しています。
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2022年8月、オランダ・ロッテルダムにいる斉藤選手に会った。

「横浜FCユースの最高傑作」と呼ばれ、クラブ史上最年少(16歳11ヶ月)でのトップチーム・デビュー。当時51歳だった三浦知良選手と2トップを組み、Jリーグ史上最大年齢差と注目を浴びた。

そんな彼は、新天地、オランダ1部リーグのスパルタ・ロッテルダムでシーズン開幕を迎えたばかりだった。取材時は、試合にベンチ入りするものの、出場機会に恵まれていなかった。

「早く試合に出たいです。試合に出て活躍しないと、認められないので」

そう、もどかしさを語っていた斉藤選手は、この取材のわずか1カ月後、第5節で後半21分から初出場すると2アシストを記録し、勝利に貢献。第7節では初のスタメン出場を勝ち取った。

あと出しジャンケンになってしまうが、取材当時、すでに彼の状況打破は予感していた。本人も、もどかしさは感じていたものの、「この感じ、経験したことあるんです」と、どこかで冷静だったからだ。

斉藤選手は「最悪の状況」を一度、乗り越えた経験がある。

迷いなく海外へ...そこで待っていた現実

ロンメルSKでの斉藤光毅選手
ロンメルSKでの斉藤光毅選手

ヨーロッパの冬は、とにかく暗い。日が短いうえに、天気も悪い。普通に生活していても、気持ちが滅入ってしまう。

2021年1月――当時のヨーロッパは、そんな辛い冬に輪をかけて、「コロナ・パンデミック」という前代未聞な社会状況も加わっていた。外出制限、家族以外との接触制限、日用品以外の店舗の営業禁止など、強制的に日常が奪われていた。

直近5年間、主人の転勤に伴い、家族とドイツで生活していた私も、この「絶望感」を味わった。

しかしそんな時期に、当時19歳だった斉藤選手は、なんの迷いもなく、海外移籍を決行した。

ーー渡航前は、どんな状況を想像していましたか?
正直、ロックダウンの状況は想像しきれていませんでした。それよりも、諸先輩たちのように、海外で早くプレーしたいという想いが強かったです。

オランダで取材に応える斉藤光毅選手

“ゴーストタウン”で、どん底のスタート

ーー実際にベルギーに行った印象は?
僕が住んだのはロンメルという、今思えば住みやすい街ですが、行った当初は、ゴーストタウンかと思いました。コロナの規制で、レストランや店舗は閉まっていて、暗い冬と相まってか、そう感じました。

そもそも、入国後は10日間の隔離。さらには2月にチームメイトがコロナ陽性者になり、その濃厚接触で僕もまた7日間隔離されました。来てすぐは、ずっと隔離されていた印象です。今思うと、最初がどん底でした。

ーー最も生活面で苦労したのは?
全部です。外食も規制されていて、唯一許されていたテイクアウトも、言葉が分からないので注文できなかったり…。仕方なく、今までしたことのない自炊を始めました。

振り返ると、当時は何が辛いのか分からないくらい余裕がなくて、毎日必死に試行錯誤しながら生活していました。

オランダの自宅で自炊する斉藤光毅選手
オランダの自宅で自炊する斉藤光毅選手

ーー生活の苦労はサッカーにも影響しましたか?
生活がしんどいから、サッカーも上手く行かなかったのか…、サッカーで思うようにプレーできなくて、生活も辛かったのか…、常に生活とサッカーが連動していました。

兄のおかげで「ガラッと」変化

ーーそんな状況を、どう打破しましたか?
実は移籍した夏に、1ヶ月間、兄がベルギーにきてくれて、それでガラっと変わりました。一人で抱え込んでいたことも、二人だと、「大丈夫だよ!なんとかなる!」と気持ちが楽になることが多かったです。

また、兄は海外が初めてだったので、「海外経験が少し先輩の僕がしっかりしなきゃ」と思い、それが自信につながりました。

斉藤光毅選手(左) 兄(右)とベルギーにて
斉藤光毅選手(左) 兄(右)とベルギーにて

ーーお兄さんの存在で、サッカーも変わりましたか?
兄が来たタイミングで、初めて試合にも出られるようになって、得点もできたんです!やはり生活、メンタルが変わるとプレーも変わる、とそのとき感じました。あまり他力で乗り越えたとは言いたくないですけど(笑)。兄の存在が大きかったです。
 

実際に兄が来てから斉藤選手の成績は一変した。

ベルギー2部リーグ・ロンメルSKでの2021-22シーズンはリーグ戦20試合で5ゴール。カップ戦2試合で1ゴール。チームで確かな存在感を見せた。

ロンメルSKで存在感を見せた斉藤光毅選手
ロンメルSKで存在感を見せた斉藤光毅選手

そして、更なるステップアップのために、今夏に選んだ新天地は、オランダ1部リーグのスパルタ・ロッテルダム。オランダ最古のチームのひとつにレンタル移籍を果たした。

「日本への未練」は卒業

ーー新しい環境に再び身を置くことになって、どんな心境ですか?
また一からのスタートです。一から信頼を勝ち得ないといけない状況は、ベルギー・ロンメルに行ったときと同じです。でも、もうあの当時のコロナ禍ではないですし、生活面、精神面では明らかに違います。

ーー精神面で最も違うのは?
ロンメルのときは、「日本の方がいい。日本に帰りたい。日本だったらこうだったのに」と、常に日本に引っ張られていました。今はそのマインドは卒業できました。

もちろん日本は大好きです。でも環境で悩むのはもったいない。今の環境にフォーカスして、自分を信じることが大事だと気付きました。

新天地スパルタ・ロッテルダムでの斉藤光毅選手
新天地スパルタ・ロッテルダムでの斉藤光毅選手

各年代の代表に召集され続け、日本でエリート街道を歩んできた斉藤選手。「ちやほやされていた部分もあった」と自ら話した彼は、今、「日本への未練」はない。

「W杯も狙っています。」抱く野望

1年前、兄の渡欧をきっかけに、置かれている環境ではなく、自分のマインドを変えることの大切さを知った斉藤選手。

そのマインドを他力ではなく、「自力で変えられるようになったらホンモノです」と笑いながら語ってくれた取材日から、わずか1ヶ月で、初のスタメン出場を果たした。次に狙うは、今シーズン初ゴールだ。

ーーこれからの野望は?
5大リーグ(イギリス、スペイン、イタリア、ドイツ、フランス)の強豪チームでプレーし、いつかはチャンピオンズリーグの決勝で点を決めたいです。

そのためには、まずは今のチームで活躍すること。そして、パリ五輪はもちろん、A代表にも常に呼ばれる選手にならないとです。11月のワールドカップも、まだ狙っていますよ!

ロッテルダムの観光名所マルクトハルにて
ロッテルダムの観光名所マルクトハルにて

ロックダウンという「最悪な状況」の中、単身で渡欧し、もがきながらも成長した斉藤選手。もう怖いものはない。そう信じて、更なる飛躍を期待したい。

遠藤玲子
遠藤玲子

フジテレビアナウンサー。2005年入社
学生時代を、ベネズエラ、アメリカで計9年過ごす。
入社後、『めざましテレビ』のスポーツキャスターなどスポーツを中心に担当。
第2子出産後、2017年からドイツで5年間過ごし、2022年に復職。
幼少期、思春期、子育て期を海外で過ごしました。
日本を離れたからこそ、気づくこと。
そんな“気づき”を大切にできればと思います。