広島県大崎上島の伝統文化「櫂伝馬(かいでんま)」。長い歴史を持つ島の文化を守るため、コロナ禍に翻弄されながらも奮闘する1人の男がいる。その熱い思いに密着した。

200年続く「櫂伝馬競漕」の魅力に取りつかれ

「やいさ~!やいさ~!」と、太鼓の音に合わせ威勢よく声をあげる藤原啓志さん(38)。「櫂伝馬」と呼ばれる木造船の船頭を務めている。

櫂伝馬の船頭を務める藤原さん
櫂伝馬の船頭を務める藤原さん
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藤原さんが生まれ育った大崎上島は、瀬戸内海の真ん中に浮かぶ島。約7100人が暮らしている。

この島で200年以上続く伝統行事「櫂伝馬競漕」は島の祭りの主役だ。4つの地区の男たちが船を漕ぎ、速さを競い合う。その雄姿は「島の宝100景」にも選ばれている。新型コロナウイルスの影響で中止になっていたが、3年ぶりに復活しようとしていた。

島の産業廃棄物処理の会社で働く藤原さんは、幼いころ、櫂伝馬の魅力に心を奪われた。「夏になると櫂伝馬の姿が見えますし、物心ついたころには好きになっていました」と、当時の写真を見せてくれた。

11歳の時、櫂伝馬の船尾に立つ藤原さん
11歳の時、櫂伝馬の船尾に立つ藤原さん

藤原さんは毎年欠かさず競漕に参加し、3児の父となった今も天満地区の船頭として船に乗り込む。そして櫂伝馬の魅力を伝えるために、小学校、中学校、高校などに出向いて、まずは櫂伝馬を知ってもらう活動を続けてきた。

少子高齢化が進む中、若い人に島の文化を継承する「旅する櫂伝馬」という事業がある。そこでも藤原さんが指導者を務め、高校生が体験乗船して大崎上島を1周。たくさんの生徒が櫂伝馬に興味を持ったという。

「旅する櫂伝馬」で体験乗船する島内の高校生
「旅する櫂伝馬」で体験乗船する島内の高校生

そんな藤原さんの熱意に心を動かされた人がいる。

「旅する櫂伝馬」に参加した高校生:
僕も櫂伝馬が好きになった。祭りに出てみないかと誘ってもらって、藤原さんの思いは熱すぎるくらい熱いです。その思いに、みんながついていっている

天満地区の先輩:
(藤原さんは)櫂伝馬バカ。熱い。でも、こういう人がいないとダメだと思う

世代を超えつながる競漕への思い だが復活は叶わず

コロナ禍で3年ぶりに開催される競漕に、藤原さんは特別な思いを抱いていた。「息子と一緒に櫂伝馬競漕に出るというのが、ずっと僕が描いていた目標というか夢だった」と言う。8歳の長男・海月(みつき)くんも櫂伝馬が大好き。

藤原海月くん:
お父さんが子どものころに剣櫂(けんがい)をやっている写真を見た時に、僕も頑張って剣櫂をして、その後に船頭もしたいと思いました

藤原啓志さん:
初めて息子の思いを聞きました。祖父、父の代からつながってきたものが息子にも伝わって嬉しいです

藤原さんが剣櫂を務めていたころの写真を見る息子の海月くん(8)
藤原さんが剣櫂を務めていたころの写真を見る息子の海月くん(8)

剣櫂と呼ばれる小さな櫂を振るのは、代々、小学生男児の役目。海月くんの指には練習を重ねた証が…。夢の実現に向けて親子の練習は続く。

練習を重ねた指を見せる海月くん
練習を重ねた指を見せる海月くん

しかし、その夢が叶うことはなかった。3年ぶりの競漕まであと1週間という時に、藤原さんが乗る天満地区の船のメンバーから新型コロナウイルスの陽性者が出たのだ。

「残念なんですけど、感染者が出た以上、競漕は難しいんじゃないかと…」そう言って肩を落とし、帰宅する藤原さん。キッチンに立つ妻・綾美さんに「ただいま。協議の結果、競漕はなくなりました…」と報告した。綾美さんは、開催間近の中止に驚いた様子だ。

海月くんにも中止になったことを伝えなくてはならない。「せっかく練習を頑張ったのに。一緒に勝ちたかったね」と明るく声をかける。もう1つ、藤原さんには悔やむ理由があった。「父が病気になっていて。一緒にできる最後の祭りかなと思っていたので、悲しいですね」と涙ながらに打ち明けた。

3年ぶりの櫂伝馬競漕が中止になり、父への思いを打ち明ける藤原さん
3年ぶりの櫂伝馬競漕が中止になり、父への思いを打ち明ける藤原さん

後日、藤原さんに改めて心境を聞くと、競漕にかける思いがこみ上げてきた。

藤原啓志さん:
子どものころから好きだった櫂伝馬をなんとかしたいと思って活動してきました。3年ぶりの復活に今までにない思いがあったので、どこにぶつけていいかわからない。でも、競漕がなくなって気持ちが落ち込んでいたときも息子に元気づけられましたし、子どもたちのためにもっともっと頑張りたい

島の子どもたちに剣の振り方を教える藤原さん
島の子どもたちに剣の振り方を教える藤原さん

悔しさを胸に、親子で祭りの神事を全う「櫂伝馬はあり続けてほしい文化」

競漕が中止になり海上で船が競い合う光景は見られないが、祭りの神事はコロナ禍でも行われることになった。神事は島や地域の発展と安全を祈願するもの。藤原さんは気持ちを切り替え、櫂伝馬の船頭として神事を全うすることに全力を注いだ。綾美さんはそんな夫と息子を見守る。

妻・藤原綾美さん:
無事にすべてが終わりますようにと、昨日も神社にお参りに行きました。2人には、がんばってきてねと声をかけました

7月30日、いよいよ祭りの日。大崎上島の木江厳島神社で厳かに神事が行われ、4つの地区の櫂伝馬が御座船を引いて航行する。

天満地区の櫂伝馬に藤原さん親子も乗り込んだ。「波が高いからしっかり膝を曲げて、落ちるときには先に落ちるって言えよ。落ちてから言ってもダメだぞ」と、息子の身を案じる。

祭りの当日、船に乗り込む藤原さんと海月くん
祭りの当日、船に乗り込む藤原さんと海月くん

そして、いざ海へ。叶わなかった競漕への思いを胸に、藤原さんは船を漕ぎ、海月くんは剣を振る。

藤原さん親子が乗る天満地区の櫂伝馬
藤原さん親子が乗る天満地区の櫂伝馬

自宅からは藤原さんの父・龍秀さんが2人の姿を静かに見守っていた。

藤原龍秀さん:
長男と孫が一緒に船に乗っている姿を見ると胸の辺りが燃えてくるというか、ジーンとくるというか。ひょっとすると孫も、ずっと櫂伝馬を引き継いでくれるかなと思いました

4隻の船は、多くの人が見守る港に戻ってきた。2023年の競漕を願い、藤原さんたちの船も神事を終えた。

藤原啓志さん:
神事だけでも無事に終えることができました。競漕がなくなったことは残念ですが、来年につながったと思います。

無事に神事を終えた藤原さん
無事に神事を終えた藤原さん

藤原啓志さん:
(海月くんについて)波が高かったのでどうかなと思いましたが、怖がらずに立っていました。今までで一番剣を振れていたんじゃないかな

櫂伝馬の船尾に立ち、剣を振る海月くん
櫂伝馬の船尾に立ち、剣を振る海月くん

藤原海月くん:
来年、競漕ができたら、今までの練習を生かして1位になりたいと思っています

祭りの締めくくりは花火大会。この日、大崎上島の夜空を彩る花火を見上げ、藤原さんは決意を新たにした。

藤原啓志さん:
櫂伝馬は僕が小さいころから当たり前にあった。海月が大人になっても当たり前にあってほしい。大崎上島にあり続けてほしい文化なので、人生をかけて守っていきたいです

祭りの最後に、大崎上島の夜空を彩る打ち上げ花火
祭りの最後に、大崎上島の夜空を彩る打ち上げ花火

生まれ育った島のために、そして子どもたちのために。伝統文化を未来へ紡ぐ。

(テレビ新広島)

テレビ新広島
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