「歩かないとだめよ。弱るから。料理でも洗濯でも、私は何でも自分でするようにしているのよ」。77年前、広島に投下された原子爆弾に被爆した笹森恵子(ささもり・しげこ)さんは、2022年6月で90歳になった。息子のノーマンさんのサポートを受けながら、アメリカ西海岸のロサンゼルスで一人暮らしをしている。

笹森恵子さんロサンゼルスにて(2022年8月4日撮影)
笹森恵子さんロサンゼルスにて(2022年8月4日撮影)
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「ヒロシマ・ガールズ」渡米した被爆者 

恵子さんは、1955年に形成手術を受けるため「ヒロシマ・ガールズ」として選ばれ、原爆を投下したアメリカに渡った女性25人のうちの一人だ。新型コロナウイルスの感染拡大以降、最近は外出が減ったというが、声には張りがあり元気そうだ。

恵子さんを初めて取材したのは8年前だが、それから世界はめまぐるしく変わった。ロシアがウクライナに軍事侵攻し、北朝鮮は核開発を着々と進めている。台湾海峡の緊張も高まってきた。ロシアのプーチン大統領は核兵器使用を脅しに使うなど、核兵器の脅威をこれほどまでに世界がリアルに感じたことは近年なかっただろう。恵子さんが長年訴えてきた「核兵器の廃絶」と「世界平和」からは、逆の方向に向かっているように見える。彼女はこの状況をどう見ているのか。今一度、恵子さんの話を聞きたいと思った。現状を悲観して取材を断られることも覚悟していた。しかし、彼女は「私の体験はね、若い人にちゃんと知らせなければならないの」そう言って、快く取材を受けてくれた。

渡米した「ヒロシマ・ガールズ」  恵子さん(当時22歳)は右から2人目(米マウント・サイナイ病院提供)
渡米した「ヒロシマ・ガールズ」  恵子さん(当時22歳)は右から2人目(米マウント・サイナイ病院提供)

77年前の1945年8月6日、広島に原爆が投下された日の朝、恵子さんは13歳、中学1年生だった。勤労奉仕に向かうため、同級生の友達と手をつないで広島市の中心部に向かっていた。

「あの日のことは忘れられないわよね。飛行機が飛んできて。あれ、何か落ちてきたよって指さしたのよ。その次の瞬間爆風で後ろに吹き飛ばされたの」。恵子さんはB-29から原爆が投下されたのを目撃したという。全身の4分の1が熱風に焼かれた。特に、両手と顔には重度のやけどを負った。「死んでもおかしくなかったのよ。運が良かったの」。手を繋いでいた友達はその日以来、行方不明のままだ。

被爆する前に撮影された写真 恵子さん(当時12歳)
被爆する前に撮影された写真 恵子さん(当時12歳)

「でもね、原爆に遭ってから、嫌だなぁってことないわよね、いいことばっかりだもん、自然といい方向に行くのよ、本当に有難いわよね」。数奇な運命をたどり、ヒロシマ・ガールズとして、アメリカにわたり皮膚の移植手術を受けた。その後、息子を授かり、ロサンゼルスで自立した生活が送れていることに、感謝しかないという。

「息子を初めて抱きしめたとき。この子は絶対に戦争に行かせないと強く誓った」と話した恵子さん
「息子を初めて抱きしめたとき。この子は絶対に戦争に行かせないと強く誓った」と話した恵子さん

原爆の恐ろしさを伝えるのは大人の責任

聞きづらいことだったが、恵子さんの反戦への願いとは裏腹に、争いが絶えない世界の現状についてどう思っているのか聞いた。

「悲しいよ!」「平和、平和言っても。現実には平和になってないじゃない。みんな平和は大切ということは知っていることよ。子供でも知っていることよ。戦争をしている人たちも知っている。やはり、“欲っぱち”(原文まま)なのよ。人間の欲、権利欲の為に戦争するんだと思うよ。でも、結局困るのは国民よ。そうでしょ」。

被爆した実体験から、戦争の悲惨さや核兵器の恐ろしさを日本だけでなく世界を回って講演してきた恵子さんは、悔しさをにじませた。しかし自分の使命も改めて強く感じたという。「若い人たちに、原爆がどんなに怖いか教えるのは大人の責任なのよ。これからも、被爆の体験を話してほしいと頼まれれば喜んでいくよ」。強権的な指導者が我が物顔に世界秩序を壊していく。その流れに少しでも抗うかのように、語り部の仕事は続けていくという。その声に一際、力が込もった。

恵子さんの願う核廃絶には長い道のりが必要だろう。実際、日本はアメリカの核の傘に守られている。平和を維持するための「核抑止」は、今は「必要悪」なのかもしれない。難しい問題だ。ただ、彼女のメッセージに込められたものはいたってシンプルだ。何人も「命の大切さ」を忘れてはいけない。恵子さんはこの先もこのメッセージを発信し続けていくことだろう。

息子を抱いた恵子さん
息子を抱いた恵子さん

核廃絶を目指す歩みを止めない

NPT再検討会議で演説した岸田首相(2022年8月1日)
NPT再検討会議で演説した岸田首相(2022年8月1日)

恵子さんと同郷の岸田首相は、8月1日ニューヨークで開かれたNPT=核拡散防止条約の再検討会議にて英語でスピーチし、「『核兵器のない世界』という『理想』と『厳しい安全保障環境』という『現実』を結びつける」と核廃絶に向け決意を示した。

岸田首相も恵子さんも共に目指す「核廃絶」という「頂」への道のりは険しく、遥かに遠い。そしてまた二人の「頂」へのルートは大きく異なる。しかし、「語り部」としての覚悟を持ち続ける恵子さんが、強い意志を持ち、歩みを止めない事の大切さを教えてくれている。

【執筆:ダッチャー・藤田水美(ジョンズ・ホプキンズ大学大学院(SAIS)客員研究員 )】