原爆投下で廃墟と化したヒロシマの復興を、ビヤホールが後押しした歴史に迫る。被爆からわずか4カ月後に営業を再開した場所で、ビールを注ぐ男性の思いを取材した。
原爆の爪痕を残す建物前にオープン
被爆77年を迎えた8月6日、広島PARCO前にビールスタンドが特設された。イベントを企画したのは重富寛さん(59)。ビールを注ぎながら、お客に被爆当時の様子を語る。

重富寛さん:
PARCOに歴史を説明するパネルがあって、当時のキリンビヤホールの壁の一部が残っているので、よかったらそれを見ながら飲んでください

かつて、この場所にキリンビヤホールがあった。昭和13年に完成し、原爆投下によって建物は枠組みだけになってしまった。しかし、被爆からわずか4カ月後に営業を再開したのだ。

重富寛さん:
原爆が落ちた年に営業を再開していたとは、とてもびっくりしました

「ビールの力が復興の一歩になったのでは」
2012年、重富さんは広島市中区で3代続く自身の酒屋でビールスタンドをオープンさせた。

こだわっているのは“注ぎ方”。80年前のビールサーバーを使うことで、苦みや炭酸を個人の好みに合わせて調節している。

重富寛さん:
おいしいビールを飲むと自然と笑顔が生まれる。その笑顔は伝染していく。そして、その場全体が笑顔で包まれる光景を何度も見てきました。戦後、焼け野原になったこの街でも、ビール一杯で少し笑顔になれたと思うんですね。広島の人は復興への一歩をビールの力で進むことができたんじゃないかと…

復興の地で注ぐ特別な一杯 ”笑顔で飲める平和”を考える
8月6日、原爆が投下された午前8時15分に平和の鐘が鳴り響く。重富さんはその時刻に合わせて、被爆したビヤホールの一部に黙とうを捧げた。

重富寛さん:
ここは復興への一歩を踏み出せた特別な場所。ここでビールをつぐことで、広島の8月6日を発信したいと思っています

重富さんが注ぐビールを特別な思いで飲みにきた女性もいた。

女性客:
学生の頃にキリンビヤホールでアルバイトをしていました。それもあって、今日ここに来ました。こうしてビールを飲める平和が続いたらいいですよね

重富寛さん:
ビールはみなさんの笑顔を生み出す飲み物だなって、改めて感じました。その笑顔の先に平和があるんだろうな

ヒロシマの復興を支えたビール。“最高のビールを楽しめる日常”を守っていくためにも、平和の意味を考え続ける必要がありそうだ。
(テレビ新広島)