被爆77年を迎えた広島。被爆者の高齢化が進む中、その悲惨な体験と平和への思いを家族が受け継ぎ、次世代に伝えていく「家族伝承者」の養成が始まった。応募した家族の姿を追った。

爆心地から1.5km圏内の自宅で被爆

広島では今、被爆者の体験と平和への願いを未来にどう語り継いでいくのかが課題になっている。残された時間は多くない。

この記事の画像(17枚)

広島市は2022年、家族の被爆体験を聞き取って代わりに語り継ぐ「家族伝承者」を養成する取り組みを新たに始めた。

家族伝承者講座の講師:
今日は、より分かりやすく伝えるための実践的なお話をさせていただきます

参加者の1人、矢木慶子さん(62)。

矢木慶子さん:
たまたま新聞で「家族伝承者」を募る記事を見て応募しました。母を見ていてどんどん歳をとっていくし、今ならまだ頭もしっかりしていて当時のことも十分聞けるので、今しかないと思って。これが2年後、3年後になったらもう聞けないだろうなと思っていました。

矢木さんが伝承するのは、93歳の母・福田喜代子さんの体験。

福田喜代子さん:
あんまり話しとうもないし、思い出すのもつらいし…。でもわかってもろうとかんとね。

1945年8月6日、福田喜代子さんは当時16歳だった。

喜代子さんは爆心地から1.5キロ圏内の自宅で被爆した。爆風で家は倒壊。柱に足を挟まれ、身動きができなくなった。

福田喜代子さん:
家の下敷きになってね、出れん時のことがすぐ頭にパーッとくるんですよ。

火の手があがり死を覚悟した時、助けようとしてくれたのは父だった。

父に励まされ、九死に一生を得る

福田喜代子さん:
あの時に父に「逃げて」と言うたのは言うたんじゃけど、父がその時「お前を置いてよう逃げん」と言って。父も覚悟しとったんじゃないかなと。

せまりくる炎の中、父が叫んだ。

福田喜代子さん:
足がもげてもいいから抜いてみてくれと、父がね…。

父の声に励まされ、傷だらけになりながら足を抜くことができた。

福田喜代子さん:
(涙をぬぐいながら)ごめんなさい。ちょっと…。

福田喜代子さん:
今考えても、その時のことを思うと涙が出るんですけどね。怖いのと、私を残して父が逃げたら、私はあのまま死んでいたなと。助けられてここまで生きてきているんです。

これまで母親の話を断片的にしか聞いたことがなかった矢木さん。母親の人生と向き合うことで、伝承の大切さを感じている。

「娘が言ってくれなかったら、誰にも伝えることはなかった」

福田喜代子さん:
娘が勉強してみると言ってくれた時、うれしかったです。戦争は嫌だということと、戦争をせんようにみんながその方向に向いてくれればいいという思いが強いです。娘が勉強してみると言ってくれなかったら、誰にも伝えることなく私は亡くなっている。

被爆体験の伝承、それは母になり代わるという難しい責務だ。

矢木慶子さん:
母の体験をうそ偽りなく、みんなに聞いてもらうことが私の役目かなと思っているんですよ。伝承原稿の最後のまとめがすごく難しくて、いまだに決まっていないんですけど、何回も何回も書き直して、母にも健康でいてもらって、私が最初にしゃべる時には聞いてもらいたい。

矢木さんは家族伝承者としての研修を続け、その活動は2年後に始まる。

(テレビ新広島)