戦争直後、広島の復興のシンボルと言われた広島大仏。
その寺は平和記念公園開設で移転し、大仏は行方不明となっていた。
しかしその後、奈良県の寺で発見され、このほど広島への里帰りが実現した。今回の里帰りを実現させた住職の思いを取材した。

戦後、広島復興のシンボルになるも…半世紀もの間 行方不明に

奈良県安堵町(あんどちょう)の閑静な住宅街にある、極楽寺。法要に向け、会場の準備が着々と進められていた。
ここに安置されている広島大仏が、半世紀の時を超えて、里帰りに向かうというのだ。

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広島大仏が誕生したのは1201年、今の山形県で作られたと伝えられている。

被爆から5年後の1950年、広島市の西蓮寺に安置されると、原爆で焼け野原となった広島の街で、復興のシンボルとして市民の心の拠り所となってきた。

ところが平和記念公園が作られることになり、安置されていた西蓮寺が移転されると、半世紀にわたって行方不明に。いつしか、街の人々からも広島大仏は忘れ去られていった。

「広島の人に伝えなければ」奈良の住職らが里帰りプロジェクト発足

しかし2011年、極楽寺の田中住職が写真などを調べ、専門家による鑑定も経て、極楽寺の大仏が広島大仏だと判明した。

極楽寺・田中全義 住職:
最初は驚きというか、信じられない気持ち。このことがわかって、すぐに出開帳をやろうという気持ちにも正直ならなくて。
資料を見ると、これは広島の人に伝えないといけないなと背中を押されるような気持ちに変わってきた

広島大仏の里帰りを決意した田中住職は4月、広島マツダなどと協力して、里帰りプロジェクトを発足させた。

それから数か月間、クラウドファンディングで費用を集め、広島大仏の里帰りが実現することに。

無事に法要を済ませると、大仏は一度解体され、丁寧に梱包されて広島へと旅立った。

田中全義 住職:
無事に送り出すところまでは何とかできたなと。ちょっとほっとしています。思ったより私の中では、解体するにも気持ちよくお身拭いしているような見方ができた

解体してもエレベーターに乗らず人力で…「昔と今とが重なるよう」

原爆ドーム近くのおりづるタワー
原爆ドーム近くのおりづるタワー

そして6月28日の夜。奈良県から広島市へ、広島大仏が運ばれてきた。原爆ドーム近くの「おりづるタワー」へとゆっくりと搬入されていく。

約370キロの旅路の末、ついに広島大仏は里帰りを果たした。

しかし、大仏が大きくエレベーターでは運べないため、スロープを使って人の力で押していく。

作業は、日付をまたいで行われ、ようやくおりづるタワーの12階へと運びこれまた。

田中住職も奈良から駆け付け、大仏の搬入を見守っていた。

田中全義 住職:
本当に一人一人の力が合わさったらこれだけのことができるんだなと。昔と今とが重なるような風景だった

一般公開も開始 平和を願い10年かけた里帰り 

そして7月1日、広島にある寺の僧侶が宗派を超えて、おりづるタワーに集まり、開眼法要が営まれた。法要後には一般公開も始まった。

訪れた人は:
見守ってもらって、人の不安の中で心のよりどころになるような存在になってくれたらうれしい。広島に戻ってこられてきっと大仏様もうれしいんじゃないかと

田中全義住職:
10年少し、出開帳ということを言ってからいろんなことがあった。その場面がフラッシュバックのようによみがえる。皆さんに、その時、その時に力をわけていただいて、その点が今、線となって、今回の出開帳に歩んだんだなと

広島大仏に込められた平和への願い。
その思いを感じ、里帰りさせることを決意した田中住職。
ロシアによるウクライナ侵攻など、平和が崩れつつある世界の中で、大仏に込められた平和への思いを多くの人に感じてほしいと言う。

田中全義 住職:
平和と言うのは簡単でも、それは我々が作っていかなければならない。あくまでも仏様は道を作っていただける。歩いていかなければならないのは私たち

半世紀ぶりに故郷に帰ってきた広島大仏。9月1日まで、おりづるタワーから、復興を遂げた広島の街を見つめる。

(テレビ新広島)