2022年で被爆77年となった、広島。原爆ドームの絵を描き続けることで平和を訴える、ある画家を取材した。
描いた原爆ドームの絵は500枚以上 「原爆ドームしか見えない」
この記事の画像(26枚)原爆ドームを描く男性。画家のガタロさんだ。
ガタロさん:
原爆ドームの後ろにもきれいなビルが建っとるけど、見えないわけよ、わしには。この原爆ドームしか
これまで500枚以上、原爆ドームの絵を描いてきた。
広島市安佐南区に住むガタロさん。息子は就職で広島を離れ、今は妻と二人で暮らしている。
物心ついたころから絵を描くことが好きだったガタロさんは、これまで長年、基町(もとまち)の商店街で、清掃員の仕事をしながら絵を描いてきた。
ガタロとはカッパのこと。水の中でも陸上でも自由に生きていけるカッパに憧れて、そう名づけた。
ガタロさん:
掃除道具って365日使うわけです。棒ブラシもデッキブラシも雑巾も。その中でしか見えてこない社会ってあるわけですよ。決定的に
奇跡的に助かった父…被爆を一切語らなかったが一言「地球の最期かと」
戦後の1949年に生まれたガタロさん。
原爆投下時、爆心地から800mの場所で被爆した父・義雄さん(当時24)は奇跡的に助かったが、義雄さんの父と弟、妹は命を落とした。
そしてその後、義雄さんにも変化が…
ガタロさん:
(父・義雄さんは)50代ぐらいを前後して、いきなり寝てたら鼻血を出すようになったわけ、突然。その時の親父の悲鳴…、放射能による二次被害という恐怖は知っていたと思う
その後、義雄さんは60歳で亡くなった。
ガタロさん:
父は被爆のことを一切語らなかった。初めて「お父さんどうだった?」って聞いたら、ひとことだけ“地球の最期じゃ思うた”って言うんですよ
30代のころ、原爆ドームを描き始めたガタロさん。「原爆ドームは何を問いかけているのか」365日、毎日通い考え続けてきた。
ガタロさん:
戦争のグロテスクさとか、忌まわしさとか、それは絶対ダメだよということを発し続けないとね。広島に生まれ、広島に住んどる人間の唯一の根っこ。ここに立ち返ってほしいという思いがある。そのために描いてきたんかなと思う
“写メで終わりじゃなく、描いて向き合う” ウクライナ侵攻機に再び描く
一時は原爆ドームから離れていたというガタロさんだが、35年の時を経た2022年、再び原爆ドームを描き始めた。
ガタロさん:
ウクライナへの侵攻ということが出てきたでしょ。これをきっかけに再びこの原爆ドームと向かい合ってきた
ガタロさん:
メディアが報じるウクライナの建造物が破壊された姿、それと原爆ドームがすごく重なる。破壊された町々というのは、ほとんどモノクロームです。白黒です。美しいものはひとつもない。
戦争というのは美しいものを奪いとるんじゃね、すべて
ガタロさん:
描くという行為は立ち止まる行為だから。写メでパチンとやって終わりじゃなくて、立ち止まってほしい。絵を描くというプロセスはそういうことなんです。手を動かして考えること、考えることをやめないでほしい
コロナで閉塞感…「命とは」考えることも 展示会を開催
7月、広島市西区で行われた展示会。
ガタロさんは、これまで自身の記憶に残る戦後の風景なども数多く描いてきた。
展示されたものの中には、街の路地にあるお好み焼き店に、子どもも大人も多くの客が集い、にぎわっている様子が描かれた作品もあった。
ガタロさん:
閉塞した空気、コロナで。生きてるって何だろうか、命ってなんだろうかということを考えだしたわけ。ステイホームしとる間に
そんなステイホーム中、ガタロさんが30年前に描いた作品を、知り合いが持ってきてくれたという。
ガタロさん:
ちょっとそれを見たとき、元気が出てね
展示会のタイトルは「ひとりふたり展」。新たに描いた作品も加えて、画家・あきさんと共同での開催だ。
あきさん:
展示の仕方も、ガタロさんの絵だけをここにまとめる。私のはこっちというふうにするかなと思っていたんだけど、ガタロさんがそれじゃ意味がないと言って、ごちゃごちゃにしてほしいって、それは絶対にこだわられていたんです
ガタロさん:
デコボコがいいんだってこと。フラットに整理するんじゃなくて、絵のうまい下手を見るんじゃなしに、デコボコがいいんだって。それがおもしろいんだってこと
「広島の人間として心が痛む。戦争への意思表示はしておきたい」
1年以上前から開催が決まっていた展示会。こぎ着けるまでに、予期せぬことも起こった。ロシアによるウクライナ侵攻だ。
ガタロさん:
広島の人間として心が痛む。それで急遽、ああいったポスターを作ったんです。小さな力かもわからんけど、戦争に対しての意思表示はしておきたいなと
ガタロさんが急遽作ったというポスターには、水色の上に濃い青色で、「No War!Don't Forget Hiroshima(戦争反対。広島を忘れないで)」といった文字が書かれている。
また、ガタロさんが展示会のため新たに描いた作品のひとつが、正義の象徴ともいえる”月光仮面”。
ガタロさん:
どこの国もわしんとこが正しい言うとる。わしの平和が正しいんだって言ってるわけ。それは本物かなと思うんです。
月光仮面の歌でも歌おうか!
「何処の誰だか知らないけれど」「月光仮面のおじさんは 正義の味方だ 良い人だ…」歌うガタロさん声が、響いた。
「原爆ドームを描くことでヒロシマと向き合うことができる」
別の日。この日も元安(もとやす)川のほとりに、ガタロさんの姿があった。
Q:きょうの一枚はどうですか?
ガタロさん:
もうちょっと感情をあらわに表へ出してもよかったね。ただ毎日感情が違って毎日違った原爆ドームを見てしまう。原爆ドームはわしみたいにべらべらしゃべるわけじゃないんですよね。いつも黙ってたっとるだけなんよ
無言で佇む原爆ドーム。そのメッセージを私たちは受け止めることができているのか。
ガタロさん:
原爆ドームを正面に据えて立った時ぐらいは、戦争はダメだ、核はダメだということは言うべき。それをまた実行すべき。えらそうなことを言いまして、すみません。だけどここへ来て立ち止まって描きよれば、ヒロシマと向かい合うことができるからね
原爆ドームと向き合い、描き続けることで平和の意味を考えるガタロさん。
その姿は、いま、ヒロシマから何を学ぶべきなのかを私たちに問うている。
(テレビ新広島)