宮城・気仙沼市に代々続くお菓子屋さんがある。東日本大震災の津波で全壊した店を再開させ、2022年に移動式の観光案内所を始めた。変わった取り組みを始めたその理由とは?

気仙沼を発信「うみねっこー号」

ある日曜日、気仙沼市内湾地区に黄色い車体が目を引く一台の車が止まっていた。車体に大きく描かれているのはウミネコ。その名も、「うみねっこー号」。

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コヤマ菓子店 小山裕隆さん:
観光パンフレットを並べているんです。お菓子が向こうにあって、反対側には観光パンフレットがあって

「うみねっこー号」は移動式の観光案内所。始めたのは、気仙沼市でお菓子屋さんを営む小山裕隆さん(44)。季節に合わせて気仙沼市内の観光スポットに車を止め、店のお菓子を販売しながら、お客さんに合わせた地元の情報を伝えている。

仙台市からの観光客:
観光案内所というと入りづらい雰囲気がある。お菓子を見ながら気さくに話すと、とても参考になる

東京からの観光客:
インターネットで調べては来るが、情報がたくさんありすぎて、どれが地元の人に一番愛されているか発信してくれると分かりやすいので助かるし、楽しい

観光案内所を始めた理由とは…

小山さんのお店は、気仙沼港にほど近い南気仙沼地区にある「コヤマ菓子店」。明治20年に創業した老舗のお菓子屋さんで、小山さんは5代目の店主になる。東日本大震災では、津波により店舗も住宅も大きな被害を受けた。

コヤマ菓子店 小山裕隆さん:
店舗と自宅、どちらも流された。家族は無事だったが、しばらく親戚の家に世話になっていた

近くにあったビルから、店の建物が流される様子を当時は店主だった父親と見ていることしかできなかったと、小山さんは当時を振り返る。「コヤマ菓子店」はその後、気仙沼市内に仮の店舗を建設。
しかし、小山さんを更なる試練が待ち受けていた。

コヤマ菓子店 小山裕隆さん:
父親が震災後一年経って、がんが見つかって。まもなく天国に行っちゃって。経営もお菓子作りも、ほぼ父が担っていて。僕も技術的にほとんど通用しない。レベルも低く、コミュニケーションも取れず、スタッフも辞めて、本当に大変でした

父親が残してくれたレシピと、父親と付き合いのあった同業者からの教えを受け、なんとかお店を続けてこられたという。今では小山さん自身が考えたお菓子も増え、父の代からのなじみのお客さんなど、多くの人が「コヤマ菓子店」を訪れてくれるようになった。
そんな小山さんが、新たに観光案内所を始めた理由。それは…

コヤマ菓子店 小山裕隆さん:
気仙沼の魅力を発信しようという活動を震災前からずっとやってきたけれど、お店を再建するにあたって活動は中止していた。2年経って、少し経営も落ち着いてきたので、ライフワークの観光案内をしようと。会話・商品で、より気仙沼を深く好きになってもらう。魅力的に感じてもらうことを目標にやっている

観光案内所「うみねっこー号」に並ぶ、小山さん自慢のお菓子の数々。気仙沼を訪れた観光客にも好評だ。

観光客
サービスエリアで見ると、同じようなもの(お土産)が置いてある。こちらはあまり見かけなかったので、パッケージもかわいいので、人に配るのにいいかなと思う

小山さんは「うみねっこー号」とともに、父親から引き継いだ「コヤマ菓子店」の自慢のお菓子を広めることが、気仙沼のさらなる活気につながると信じている。

コヤマ菓子店 小山裕隆さん:
まず、お菓子が有名になることがすごく重要と思っている。日本全国・世界から来てもらえるようなお菓子屋さんになるのが目標。震災時から地域の皆さんにお世話になっていて、常々恩返ししたいと思っていた。お菓子屋を通じて、人を呼び込んで交流人口を増やして、この地域をにぎやかにして、笑顔がどんどん生まれる街にしていきたい

(仙台放送)

仙台放送
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