西日本豪雨災害から4年。町並みが変わりゆく中、変わらない思いで今日もお好み焼きを焼く、1人のおばあちゃんを取材した。

残ったのは鉄板だけ…覚悟の営業再開

広島県坂町小屋浦地区にぽつんと佇む、お好み焼き店「福水」。福井昌子さん(78)はこの店を50年以上の間、1人で守ってきた。

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毎朝、小屋浦の町を歩くのが福井さんの日課で、この日は西日本豪雨災害で亡くなった人の共同墓地へお墓参り。

福井昌子さん:
今まで元気にさせてもらっているから、お参りさせてもらいました。小屋浦を見守ってもらわないと。もっと人が帰ってくればいいけど、まだなかなかね…

2018年、広島県内は未曾有の大雨に襲われ、坂町は茶色く濁った土砂に飲み込まれた。小屋浦地区では15人が亡くなり、今もなお1人が行方不明のままとなっている。

福井昌子さん:
160センチくらいまで水が来た。1階で寝ていた時に「冷たい」と思ったら水が来ていたから、2階へ上がって。肩までびちょびちょに濡れて。タンスもない、服もない、一切ない。みんな流れてしまった…

避難所での生活を終え、福井さんが店に戻ることができたのは1週間後のことだった。

福井昌子さん:
大変だったし、ものすごくショックだった。鉄板だけ残っていたけど他はみんなだめ。みんな流れた。まわりのお店も何軒かやめてるし、もうお店をやめようと思っていた

流されず唯一残ったのは、お好み焼きを焼くのに欠かせない”鉄板”。福井さんは災害の傷跡がついたこの鉄板を見て、覚悟を決めた。

災害の傷跡が残る鉄板
災害の傷跡が残る鉄板

福井昌子さん:
「負けちゃいけん」と思って。周りからも頑張ってと言ってもらって、もう一度頑張ろうと決めた。2018年10月16日からお店の営業を再開した

店を訪れる多くの客は地元の住民で、話は自然と災害の話になる。

被災した 問芝恭子さん:
「忘れた」とまでは言わないけど、思い出そうとしないと思い出せなくなってきた。被害が目に見えると辛いけど、道路や公園もきれいになって、すっかり変わっている

人口減少で変わってしまった町並み こぼれる本音

災害から4年経ち、町の整備も進んでいるが、かつてのような活気はない。福井さんも問芝さんも、口をそろえて「人がいない」と言う。

小屋浦地区の人口は緩やかな減少傾向にあったが、災害後はさらに減少。2018年には1833人だった小屋浦地区の人口は、4年間で約15%減り1567人になった。人が減ったことで町の様子も大きく変わった。

散髪屋がなくなり、たばこ屋も薬局もなくなり、周りは空き地ばかりだ。変わってしまった町並みに思わず本音がこぼれる。

福井昌子さん:
人が通りもせんじゃろ。ほんとに静かで…さみしいよ…

「災害前よりも元気な町にしたい」思いはひとつ

7月3日、坂町では西日本豪雨災害の犠牲者を悼む追悼式が行われた。

吉田隆行町長:
復旧復興を完結するために頑張っていくんだと、一つの“節目の追悼式”になったと思う。被災前よりも元気で、多くの方に住み着いていただけるような、そういう環境が作れるよう地域と一体となって、これから前に進めていければ

4月には、災害の教訓を伝える施設が完成。復興に向けて少しずつ歩み始めている。

それでも、時には客が1人も来ない日もある。福井さんの原動力となっているのは、応援してくれる人と、鉄板だ。

福井昌子さん:
うちのお好み焼きを待ってくれてる人がいる。店を閉めたら鉄板もかわいそうだから。この鉄板は、災害を一緒に乗り越えて頑張ってきた、私の“人生の宝”。もうちょっと頑張らないと。80歳までは頑張ろうかね。

大好きな小屋浦の町を見つめて、福井さんはこう語る。

福井昌子さん:
静かで海はきれいだし、いい所でしょう。災害があったとは思えないほど、きれいでしょう。人が戻って来てくれたら嬉しいけど、みんな恐れて帰ってこないのかな…小屋浦はいいところです。元気に頑張らないと

西日本豪雨災害から4年。変わりゆく町の中で、災害を乗り越えた鉄板と一緒に歩んでいくと決めた、おばあちゃんの変わらない思いがあった。

(テレビ新広島)

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