15人が犠牲となった、中越沖地震から15年。被害の大きかった新潟県柏崎市では、アートの魅力を通し、日頃から災害に備える活動が行われている。きっかけは、障害者支援を行う女性が“災害時、より多くの支援が必要な時ほど、支援を受けづらくなる人がいる”と肌で感じたことだった。
福祉施設を運営する女性 15年前の中越沖地震で見えた現実

2007年7月16日、最大震度6強を観測し、15人が死亡・4万棟を超える住宅が被災した、中越沖地震。

柏崎市東本町の「えんま通り」も、アーケードが崩れるなど、大きな被害を受けた。

あれから15年。えんま通りにある、障がい者によるアート作品を展示し、カフェも併設されている「ART BASE FLAG(アートベース フラッグ)」を訪れた。

開業1周年を記念し、福祉施設で絵を描く大橋加奈さんの作品展が開かれていた。

お客さん:
温かみのある絵で癒やされる
この癒しの空間を創設したのは、柏崎市で障がい者の就労施設などを運営する西川紀子さんだ。

西川紀子さん:
中越沖地震当日も暑い日だった

15年前、柏崎市四谷で西川さんが代表を務める福祉施設も被災した。施設の両脇にあった建物が倒壊し、施設の中は設備や資料が散乱したという。
西川紀子さん:
当時は職員の多くが被災者になり、利用する子どもたちを受け入れて支援するのは無理だと思っていた

それでも、地震から2日後には安全を確認しながら、外部の応援スタッフの協力を得て、障がい者の受け入れを再開した。
西川紀子さん:
障害のある子どもを日中だけでも預かることができれば、お母さんたちが安心して被災した家の片付けができる

障がいのある人と家族に寄り添う西川さん。活動の原点は、重い障がいがある息子の康平さんだ。
西川紀子さん:
障害のある子どもの親仲間で、放課後の支援からスタートした
障がい者の家族によるネットワークを築き、福祉施設の運営を始めた西川さん。しかし、中越沖地震で浮き彫りになった現実があった。

西川紀子さん:
自閉症は、集団や情報の多い場所にいるのがつらい人もいる。そういう方と暮らしている家族、例えば「お弁当を配るから、どこどこに何時に来てください」と言われても、並ぶことは到底できないと思う。お風呂も、待つことや人と入るというのは苦手
災害時、より多くの支援が必要な時ほど、支援を受けづらくなる人がいるのを肌で感じたという。
災害時の備えに…アート作品を通じて地域との交流深める

西川紀子さん:
災害など大変な時にネットワークを組むのは無理だと思う。日常的にお互いを知っていることで、困り事に気付き合える

西川さんは福祉施設を運営する中で、利用者によるアート作品に可能性を感じたと話す。


西川紀子さん:
アートの世界が覆る。もう、ワクワク、ドキドキさせられる
地域の大勢に、障がい者によるアート作品を楽しんでもらいながら、災害の備えにつなげるというアイデアが浮かんだ。
西川紀子さん:
利用者さんたちが、「ここにいるよ、表現しているよ」という意味で“FLAG”という名前に

福祉施設で作る弁当や惣菜も販売する、ART BASE FLAG。飲み物のカップには、施設の利用者による手書きのカバーがついている。
お客さん:
カバーが楽しみで来ている

お客さん:
捨てることができなくて集めている
お客さんの中には、飲み物のカバーをコレクションする人も。

こうして店のファンを増やすことで、災害時の旗印“FLAG”として機能することにつなげる考えだ。

西川紀子さん:
障害のある人は、助けてもらうだけの立場ではない。アート活動などを通して、喜びや発見を与えてくれる
震災で「助け合う気持ち強くなった」 地域のつながりが町の力に

店舗には、多目的トイレも用意している。災害発生時は、介助の知識も豊富な福祉施設職員が、地域のために活躍することもできる。

西川紀子さん:
職員の力は利用者だけでなく、町の役にも立てばいいなと思う
中越沖地震から15年…

お客さん:
中越沖地震で町の景色が一変したけれど、その分、みんなが助け合う気持ちは強くなったと思う

西川紀子さん:
「障害のある人が町の中で一緒に暮らしている」という実感を持ってくれる市民も増えた。世の中、15年前とはちょっと変わったかもしれない
「もしも」に備える取り組みは、今も続いている。
(NST新潟総合テレビ)