大勢の民間人が命を落としているウクライナ侵攻に、77年前の記憶を重ね合わせる男性がいる。その記憶とは、1,000人以上が犠牲となった福岡大空襲だ。あの夜、何が起きたのか。体験者が当時の記憶を克明に語った。

大空襲で1,000人以上が犠牲 今も頭に焼き付く光景

6月18日、福岡市中央区の円応寺で追悼式典が開かれた。

福岡大空襲の追悼式典
福岡大空襲の追悼式典
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出席した樋口泰助さん(83)は6歳の時、この寺のすぐ傍で父親以外の家族6人を一度に失った。

樋口泰助さん:
防空壕の中に煙が充満してきたから、危ないということで、うちのお婆ちゃんが「先に男の子は早く逃げろ」ということで(防空壕から)私を押し出してくれたから助かったようなもの

防空壕から押し出してくれたという樋口さんの祖母
防空壕から押し出してくれたという樋口さんの祖母

樋口泰助さん:
母親は、きょうかあすにも(出産しそうな)おなかだったから。また、お婆ちゃんは半身不随で動きが取れなかった訳です

樋口さんの母親は出産間近だったという
樋口さんの母親は出産間近だったという

福岡大空襲。1945年6月19日の深夜から翌日の未明にかけて、アメリカ軍が福岡市の中心部に1,500トンを超える焼夷弾を投下し、一晩で1,000人以上が犠牲となった。

一晩で1000人以上が犠牲となった福岡大空襲
一晩で1000人以上が犠牲となった福岡大空襲

翌朝 樋口さんは、がれきや土に覆われていた自宅裏の防空壕で、母や祖母の遺体を発見した。その時…

樋口泰助さん:
家族を(遺体を)掘り出す時、父親が(死亡した)母親のエプロンに何かくるんで母親の懐に入れていたから、私が「何ね、父ちゃん、それは」と聞いたら、(その時、父は)「うーん」と、それぐらいしか言わなかったんですけど

樋口泰助さん:
後々になって、あれは赤ちゃんが生まれとったって…。女の子やったと…

樋口さんは、生き残った父親と共に母や祖母、そして地上の光を一度も見ることなく亡くなった妹など、家族6人の遺体を大八車の荷台に乗せ、自宅から200メートルほど離れた簀子小学校まで運んだ。

樋口泰助さん:
父親が頭の方を抱えて、「お前、母ちゃんの足を持て」と言って、それで大八車に乗せて小学校まで運んだんですけど、その時の光景は今も頭に焼き付いてます

福岡大空襲の記憶を語る樋口さん
福岡大空襲の記憶を語る樋口さん

樋口さんが、家族6人の遺体を運ぶ際に使った大八車に取り付けられていた「標識」が残っている。樋口さんは、この金属製の小さな標識を「家族の記憶」として、70年以上 自宅で保管していた。

しかし2021年、福岡大空襲を伝える貴重な資料として次の世代に託そうと、戦争関連の企画展を開催している団体に寄贈した。

ウクライナの現状を憂い…「私たちと同じことに」

樋口さんは今、77年前の自らの記憶とウクライナの現状を重ね合わせている。

樋口泰助さん:
ウクライナの人たち、市民とか子どもとか、あんな風に死んでしまう。私たちと同じことになっているから…早く終わってほしいと思う。私たちがどうした方がいい、こうした方がいいと言ったって、どうしようもない。だから早く終わってほしいと思うだけです

樋口さんは、2021年に大病を患って生死の境をさまよい、現在は酸素吸入器がないと外出ができない状態だが、追悼式典には「何が何でも出席する」と言って、息子の車でやってきたという。家族を救えなかった後悔の念、心の痛みがどれだけ大きいことか、想像に難くない。

民間人も巻き込まれ、弱い者が真っ先に犠牲になる戦争。
家族の遺体を運んだ大八車の標識は、その事実を静かに伝えている。

(テレビ西日本)

テレビ西日本
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