第2次世界大戦中、「命のビザ」で多くのユダヤ人を救った外交官、杉原千畝は広く知られているが、その2年前の開戦直前、同じくナチス・ドイツの迫害からユダヤ人を救ったもう一人の日本人がいたのをご存じだろうか。
この記事の画像(9枚)独断でユダヤ人を救ったもう一人の日本人
樋口季一郎陸軍中将(1888-1970)は、ハルビン特務機関長だった昭和13年(1938年)、ナチスの迫害を逃れてソ連と満州国境のオトポールで立ち往生していたユダヤ難民を受け入れ、上海へ向けた脱出ルートを開いた。いわゆる、「オトポール事件」だ。救ったユダヤ人は2万人ともされている。
当時、日本とドイツは防共協定を結んでいたことから満州国はビザの発給を拒否したものの、樋口中将は「人道上の問題」だとして、受け入れを独断で決断した。
当然ドイツ側からは強い抗議があり、関東軍の東条英機参謀長は樋口を呼び出すも、樋口は「ヒトラーのお先棒を担いで弱い者いじめをして良いのか」と主張、東条もこれを不問に付したという。
「ゴールデンブック」に記された名前
多くのユダヤ人を救ったことはイスラエルではどのように受けとめられているのか。われわれはエルサレムにある団体、ユダヤ民族基金(Jewish National Fund)を訪ねた。ここにはユダヤ民族に貢献した人を記す資料がある。「ゴールデンブック」だ。
デスクトップパソコンの本体ほどの大きさのある、分厚い本が並ぶ。表紙には、一冊ごとに特徴のある装飾が施されている。その中の1冊に、樋口中将の名前があった。
英語でGeneral Higuchiと書かれている。ヘブライ語の意味も同じだ。
基金の担当者に話を聞いた。
ユダヤ民族基金担当者 アンディ・マイケルソン氏:
これまであまり知られてこなかった(樋口のような)人物に多くのユダヤ人が救われたということは、非常に興味深いです。(そのおかげで)多くのユダヤ人がホロコーストの恐怖から逃れることができたという事実を、われわれはつい最近学び始めたばかりです。
――杉原千畝はエルサレムのホロコースト記念館(ヤド・ヴァシェム)から「諸国民の中の正義の人」として表彰されているが、樋口の名前はない。
マイケルソン氏:
理由はわかりません。ただ、私はできる限り(再評価に)協力したいと思います。われわれにとって本当に重要なことだからです。われわれは過去を思い出す必要があり、もし過去を思い出せなければ、それを軽んじることになるかもしれません。われわれの歴史に貢献した人々は、評価されなければいけません。ゴールデンブックに載るのは良いことですが、それだけでは十分ではありません。もっと必要なのです。彼はユダヤ人を救うために、自分らの政府に逆らって行動したのです。彼は適切な評価を受ける必要があると思います。
「当たり前のことをしただけ」
樋口中将をめぐり、国内では2021年5月に一般社団法人「樋口季一郎中将顕彰会」が発足した。その会長で樋口中将の孫である明治学院大学名誉教授、樋口隆一氏に話を伺った。隆一氏は2018年にエルサレムのユダヤ民族基金を訪問し、ゴールデンブックを閲覧、樋口中将に救われたユダヤ難民の子孫とも対面している。
樋口隆一明治学院大学名誉教授:
私が小学生の頃に、祖父がユダヤ人を救った話は聞きましたが、おとぎ話のような世界でした。ただ、2018年にイスラエルを訪れ、実際に助かったユダヤ難民の息子であるダニエル・フリードマンさんに出会うなどしたことで、それが現実のものとなりました。彼らがものすごく喜んでくれているのをみると、実感が沸いたのです。とても感動的な出会いでした。それまでは自分の音楽家としての本業も忙しく、樋口の件には深入りしてきませんでしたが、この訪問をきっかけに逃れられなくなりました。
――杉原千畝と比べると、樋口中将はまだそれほど知られていない。
樋口隆一氏:
杉原さんは目の前に難民が来てビザを書いた。難民に直接接したわけです。一方、樋口は責任者であって、直接に難民との触れ合いはありませんでした。そこが2人の違うところです。一方、共通点もあります。2人とも後年になって「当たり前のことをしただけだ」と答えたといいます。彼らの偽らざる気持ちでしょう。樋口は当時、諜報関係の第一線にいたわけで、裏の裏まで知っていたはずです。ここで杓子定規にユダヤ人難民を返したら、必ず死ぬというのはわかっていた。祖父も後年、「その時はとにかく助けなければいけなかった」と語っていました。杉原さんもそうです。とにかく助けるんだと。理屈じゃないんです。
スターリンから北海道を死守
樋口中将が「守った」のは、実はユダヤ人だけではない。1945年の終戦時には札幌の第五方面軍司令官として、千島列島の占守島に侵攻したソ連軍との抗戦を指揮。スターリンによる北海道侵攻の野望を阻止した。その再評価から、2020年には北海道の石狩に記念館が開設されている。
樋口隆一氏:
ソ連がもし北海道をとっていたら、そこを拠点に日本中に侵攻してきたでしょう。(国内で)残虐行為が行われる恐れもありました。満州でどれだけの日本人女性が襲われたでしょうか。その多くは自決しました。私の母親もソ連軍の兵士が来るということで、自決用の青酸カリを渡されていました。飲んでいたら私は生まれていませんが。
2月24日にロシア軍がウクライナに侵攻してから早くも3カ月以上が経過したが、依然として終わりの見えない戦いが続いている。樋口教授は、まるで第2次大戦の終戦時のようだと語った。
樋口隆一氏:
1945年の終戦時と同じような感じさえします。プーチン大統領が狂ったという専門家もいますが、とんでもない。プーチンは確信犯。命がけで、やるところまでやらないと収まらないでしょう。ただ、ロシア国内でも退役軍人などかなり偉い人がプーチン批判を始めました。戦死者が増え、兵士の母親の会が声を大にするとプーチンもかなわない。ただ、ロシア国民の多くが大国主義のマインドを引きずっています。だから、ロシアの中で解決しないと終わらないと思います。なかなか簡単ではありません。長引くのではないでしょうか。
3月2日には根室半島沖で、ロシア機とみられるヘリコプターが領空侵犯した。ウクライナ侵攻と連動し、極東のロシア軍の動向も活発化している可能性がある。戦後77年、「北海道を守った」樋口中将なら、今の戦況をどう見るだろうか。
樋口季一郎中将顕彰会では、樋口の功績を広く周知し後世に伝えるため、故郷の淡路島と、樋口が「守った」北海道に銅像を建立する計画を進めている。また、樋口隆一氏自身も7月、北海道の札幌、帯広、釧路で、樋口中将関連の講演会に呼ばれているという。
映画にもなった外交官、杉原千畝に比べ、まだほとんど知られていない軍人、樋口季一郎。多くのユダヤ人を救った史実をもとに、国内外で再評価の機運が高まっている。
【執筆:FNNイスタンブール支局長 清水康彦】