5月19日IAEA・国際原子力機関のトップであるグロッシー事務局長が福島第一原子力発電所を視察した。IAEAは福島第一原発でたまり続ける処理水の海洋放出計画について、国際的な基準から評価・検証を行っている。視察を終えたグロッシー事務局長は「常に何が行われているのかを情報開示することで、心配や疑念を解消していくことが出来る」と述べた。

IAEAは今年2月、福島で現地調査を実施。4月に公表した報告書では「設備設計と運用手順の中で的確に予防措置が講じられている」と評価した。グロッシ-事務局長は5月18日に萩生田経産相と会談した際には「IAEAが評価することにより、世界中の人々がALPS処理水は公衆の健康や環境に悪影響を与えないと確信をもつことができる」と発言している。IAEAは処理水を採取して独自に分析もしており、放出前に再び報告書を提出する方針だ。

IAEAによる評価は、ここまでのところ順調に進んでいるように見える。ただ、政府と東京電力が目標としている、来年春の海洋放出開始は実現出来るのか?

筆者は5月11日に日本記者クラブが主催する取材団に参加し、福島第一原発内部の最新の状況を取材した。

福島第一原発の今

敷地内で働く作業員は1日およそ4000人。数字で見るだけでは実感できないが、セキュリティーチェックに並ぶ作業員の行列を実際目にすると、その人数がいかに多いのか、人件費だけでもいかほどか、作業がいかに膨大なのかが肌感覚で分かる。事故から11年あまり。その間何らの発電をすることも、利益を生むこともなかった福島第一原発にこれだけの人と金が投入されてきたことを思うと、目眩を覚える。

爆発した原子炉建屋から1キロほど離れた場所に設置された線量計は毎時0.3マイクロシーベルトを表示していた。構内の除染は進んでおり、原子炉建屋内やその近隣を除く95%以上の地域で防護服は必要なく、私もマスクや2重履きの靴下など簡易的な装備で取材した。

原発敷地内に立ち並ぶタンク 日本記者クラブ代表撮影
原発敷地内に立ち並ぶタンク 日本記者クラブ代表撮影
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敷地内で目に付くのは約1000基に及ぶ処理水タンクだ。そして、このタンクの中身を海洋放出するための準備作業があちこちで行われていた。東京電力の放出計画はこうだ。

まずALPS・多核種除去設備などでトリチウム以外の放射性物質が基準値以下に下がった処理水を、K4と呼ばれる地区の30基のタンクに集める。そこで処理水を攪拌して濃度を均一にし、放射性物質が基準値である事を改めて確認する。その上で、大量の海水で処理水を薄め、海沿いに建設する「上流立坑」に流し、トリチウムの濃度が1リットルあたり1500ベクレル以下であることを最終確認した上で、下流立坑に流し、海岸から1キロ先の海底に設置する放出口から海洋に放出する。この1500ベクレルというのは、国の安全規制の基準である1リットルあたり6万ベクレルと、WHO・世界保健機関の飲料水水質ガイドラインである1リットルあたり1万ベクレルを大きく下回る。しかも年間の総放出量は、事故前の福島第一原発における放出管理目標値である年間22兆ベクレルを上限とする。つまり放出濃度や総量は、既存の基準や通常の発電で生じる放出量を下回るものだ。その上で、放出前に2度にわたるチェックを行う体制だ。東京電力は、海洋放出が始まったら、放出量や放射線濃度などあらゆるデータを公表するとしている。

放射性物質を除去するALPSは1日最大2000トンの処理が可能 日本記者クラブ代表撮影
放射性物質を除去するALPSは1日最大2000トンの処理が可能 日本記者クラブ代表撮影
放出前の処理水が集められるK4タンク 日本記者クラブ代表撮影
放出前の処理水が集められるK4タンク 日本記者クラブ代表撮影

工事は「未着工」

東電は計画実行のために準備を進めているが、実は海洋放出に向けた本格的な工事は行われていない。工事を実施するには、原子力規制委員会による海洋放出計画の審査が終了し、地元自治体(福島県・大熊町・双葉町)の事前同意が必要だからだ。原子力規制委員会は5月18日、東電が申請した海洋放出の実施計画について安全性に問題はなく原子炉等規制法や政府方針の要求を満たしているとの審査書案を了承した。6月17日までの1カ月間パブリックコメントを募集した後、7月中にも認可する見通しだ。地元自治体の事前同意は得られておらず、工事着工は早くとも7月以降になる。

だが、現場ではすでに実質的な工事が始まっていた。海洋放出直前に処理水を貯める下流立坑(縦18メートル×横12メートルで深さ18メートル)の穴はすでに掘られており、穴の底には海底トンネルを通すためのシードマシンが置かれていた。また処理水の放出口の設置予定地である岸壁から1キロ離れた海底を浚渫船で掘る作業も始まっている。しかし東電の担当者は、「工事ではなく、あくまで環境整備」と主張。立坑の壁は簡単な土留めをしただけであり、工事が始まったらコンクリートなどで固めて巨大な水槽にするという。工事の認可が得られるのをただ待つだけでは、政府や東電が目指す来年春の放出開始には到底間に合わない。やや苦しい言い訳に聞こえるが、海洋放出に向けた準備は着実に進んでいた。

下流立坑の底には白いシールドマシンが置かれていた 日本記者クラブ代表撮影
下流立坑の底には白いシールドマシンが置かれていた 日本記者クラブ代表撮影
シールドマシンは1日9メートル掘り進める能力があり、1キロ先の放出口に到達するには最短で3ヶ月程かかる 日本記者クラブ代表撮影
シールドマシンは1日9メートル掘り進める能力があり、1キロ先の放出口に到達するには最短で3ヶ月程かかる 日本記者クラブ代表撮影
放出口を作るための浚渫船の作業は始まっていた 日本記者クラブ代表撮影
放出口を作るための浚渫船の作業は始まっていた 日本記者クラブ代表撮影

来春の放出は可能なのか?

ただ、工事が始まったとしても、実際の放出に至るまでのハードルは高い。放出開始には地元自治体だけでなく、漁業関係者などを含めたより広い了解が求められるためだ。漁業関係者はこれまで、繰り返し海洋放出反対の声をあげてきた。萩生田光一経産相は4月5日、全国漁業協同組合連合会(全漁連)の岸宏会長と福島県漁連の野崎会長と会談し「関係者の理解なしには、いかなる処分も行いません」と述べた。岸会長は同日岸田首相とも会談したが「いささかも反対という姿勢に変わりない」と述べ、海洋放出に反対する立場は全く変わらなかった。

最後のタンク

福島第一原発の敷地南端近くにある「G4、G5タンクエリア」を取材した。ここでは「最後のタンク」の建設が進んでいる。1基あたり1300トンほどの処理水が保管できる巨大なタンクは溶接で作られる。作業員は慣れた様子で、着々とタンクを建設していた。これまでに建設されたタンクは合計1061基に及ぶ。東電によると、このG4、G5エリアに建設する23基が最後のタンク建設計画だという。

G4G5エリアで建設中の「最後のタンク」 日本記者クラブ代表撮影
G4G5エリアで建設中の「最後のタンク」 日本記者クラブ代表撮影

現在1日あたりおよそ130トンの処理水が生まれ、これまでに貯まった処理水は約130万トンに及ぶ。タンクの空きは残り5%だ。目標通りに海洋放出が来年春に始まらなければ、最短で来年秋にはタンクは満杯になるという。東電や政府は、漁業関係者や自治体の理解を得られるのか?タイムリミットは迫っている。

(経産省担当 渡邊康弘)

経済部
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「経済部」は、「日本や世界の経済」を、多角的にウォッチする部。「生活者の目線」を忘れずに、政府の経済政策や企業の活動、株価や為替の動きなどを継続的に定点観測し、時に深堀りすることで、日本社会の「今」を「経済の視点」から浮き彫りにしていく役割を担っている。
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財務省や総務省、経産省などの省庁や日銀・東京証券取引所のほか、金融機関、自動車をはじめとした製造業、流通・情報通信・外食など幅広い経済分野を取材している。

渡邊康弘
渡邊康弘

FNNプライムオンライン編集長
1977年山形県生まれ。東京大学法学部卒業後、2000年フジテレビ入社。「とくダネ!」ディレクター等を経て、2006年報道局社会部記者。 警視庁・厚労省・宮内庁・司法・国交省を担当し、2017年よりソウル支局長。2021年10月から経済部記者として経産省・内閣府・デスクを担当。2023年7月からFNNプライムオンライン編集長。肩肘張らずに日常のギモンに優しく答え、誰かと共有したくなるオモシロ情報も転がっている。そんなニュースサイトを目指します。