5月16日に死去した歌手の西城秀樹さん。

1970年代から80年代、トップスターとして数々のヒット曲を世に送り出したが、2003年に脳梗塞を発症して以来、15年にもわたり後遺症と闘い続けていた。

池袋大谷クリニックの大谷義夫院長は、「西城さんは2度の脳梗塞で血管が硬くなり、急性心不全になりやすい状態だった可能性がある」と指摘した。

最期まで“歌うこと”にこだわり続けた…

 
 
この記事の画像(4枚)

西城さんが初めて脳梗塞を発症したのは、2003年にディナーショーで韓国を訪れた48歳の時。

その時の心境が西城さんの著書「あきらめないー脳梗塞からの挑戦」(2004年)には、「自分の人生はもう終わった。終わってしまったんだ。死んだも同然だと思えてしかたがなかった」などと生々しく綴られている。

そして、家族の支えもあり発症から1カ月も経たずに、西城さんは芸能活動を再開。

復帰会見で「このまま目を瞑ったら、開かないんじゃないかという恐怖感があった」と語っていた。

最期まで“歌うこと”にこだわり続けていた西城さんは、ボイストレーニングに励み、2006年には新たにシングルを発売するまでに回復する。

一方で、自身の闘病体験が少しでも人の役に立つならばと講演活動にも力を入れていたという。

しかし、56歳となった2011年に再び脳梗塞を発症。

4か月後にカメラの前に現れた西城さんは、杖を突きながらも自らの足で歩いていた。

西城さんは「ちょっと千鳥足っぽくなったんでおかしいと。でも熱もないし…。家の階段を下りていたときに階段から落ちちゃったの」とカメラの前で語った。
 

YMCAをもう一回歌いたい!

 
 

その後も、西城さんは歌手として再びステージに立つためにリハビリに励み続けていた。

3年前からリハビリに立ち会い続けた「ジェイアール ワークアウト」の大明竜八総院長は、「最初いらっしゃった時は3秒以上立てなかった。倒れたり、めまいをしたり」と当時の西城さんの様子を明かす。

 
 

それから器具を装着し、何百回も往復したり、何十キロもあるおもりを足で押すなど過酷なリハビリに励んでいたという。

時には苦悶の表情を浮かべるようなリハビリに、大明さんは「本当に大変で厳しかったし、毎回、『痛い!痛い!』と叫びながらリハビリをしてました。絶対に途中でやめることなかった」と振り返った。

そんな西城さんには、どうしても叶えたい一つの目標があった。

大明総院長が「なぜ(痛みに)我慢するのか?」と聞くと、「『ファンのためにがんばりたい』と。YMCAをもう一回歌いたい!ちゃんと歌いたい!」と西城さんが話していたという。

こんな話をしていた2か月前に、西城さんは還暦コンサートで代表曲「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」を披露していたが、ポーズを作る際に後遺症の影響でうまく作れなかった。

だからこそ、もう一度キレのあるYMCAをファンに届けたい…その一心で辛いリハビリに耐えていたのだという。

先月25日、はからずも最後のリハビリに立ち会うこととなった大明総院長は、「(4月25日も)変わらなかったですね。全部トレーニングしました」と明かした。

しかし、その同じ日に自宅で倒れ、3週間意識が戻らないままとなった西城さん。

5月16日午後11時53分に家族に看取られながら旅立った。
 

(「めざましテレビ」5月18日放送分より)