一世を風靡したあの夏から15年。
今季限りで現役を引退する日本ハムの斎藤佑樹が17日、札幌ドームで行われた引退試合に登板。
11年間のプロ野球選手生活に別れを告げた。

引退試合の5日前、斎藤はファイターズ鎌ヶ谷スタジアムで現在の心境を語ってくれた。

「もうこれ以上は投げられないというのが一番の要因ですね。肩ですね」

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斎藤佑樹の歩んだ道のり

『斎藤佑樹』の名が全国に知れ渡ったのは今から15年前の2006年夏。

駒大苫小牧との甲子園決勝。
現在は楽天でプレーする田中将大との壮絶な投げ合いは延長15回で決着せず、再試合に。
翌日も斎藤は志願の先発マウンドに上り、早稲田実業は夏の甲子園初優勝を飾る。

当時の高校球児では珍しく、ハンカチを拭う姿から名付けられた愛称は“ハンカチ王子”。

斎藤の行く先々には多くの人が集まり、ハンカチ王子は新語・流行語大賞のトップ10入りも。

そんな“ハンカチ王子フィーバー”は、2007年の早稲田大学入学後も続く。

東京六大学リーグでは4年間で史上6人目のリーグ戦30勝300奪三振を達成。

2010年に優勝した際のインタビューでは「『斎藤は何か持っている』と言われてきました。それは仲間です」と挨拶。ナインへの感謝の言葉は大きな話題となった。

そして2011年、プロの世界へ。
斎藤は4球団競合の末、日本ハムにドラフト1位で入団する。

プロ2年目には、開幕投手を任されプロ初の完投勝利を飾る。
チームとファンの期待を一身に受け、お立ち台では「今は持っているのではなくて、背負っています」という名言を残した。

右肩の怪我との戦い

しかし、この年の終わりから待っていたのは右肩の怪我との戦いだった。

スター街道をひた走ってきた男の宿命か、SNS上には「半価値王子」などと厳しいコメント。
これまで斎藤を取り巻いてきた報道陣は、球界の新星・大谷翔平(当時18)のもとへ移っていった。

引退試合を前に語った本音

栄光も挫折も味わった11年の現役生活。斎藤は自身の野球人生について、こう振り返る。

「本当に前だけを向いてきたつもりなので、その時々の心境というのは色々あったんでしょうけど、正直に言えば周りの反応に対して、向き合っている時間はほとんどなかったかなと。周りに目もくれずという言い方が正しいのかもしれないですけど」

右肩を故障してからの9年間は通算4勝12敗。
ここ2年は一軍登板「0」に終わった。

「今日の朝も髪の毛を洗う時に肩を上げるのがつらかったですね」

右肩の痛みが、もがき続けた証を物語る。

復活は叶わず、決意した引退。
それでも、ベストを尽くしたからこそ胸を張って言えることがある。

「今年一年間はすごく楽しかったですね。一日一日が自分にとって全力で野球をやろうって気持ちでいられたので、それは今年一年ありがたい時間でした」

「ハンカチ王子嫌だった…今は感謝」

ハンカチ王子と呼ばれた夏から15年。プロ野球選手の幕を下ろす斎藤へ、最後にハンカチ王子という愛称について聞いた。

「ハンカチ王子?当時はなんだろうって感じですよね。大学生の頃くらいはそんなあだ名というか、ニックネームというのはすごく嫌だったし、プロに入ってからは『そんなこともあったよな』って感じになってきて、今ではその言葉があったからこそ、皆さんに知ってもらえるようになったんだと思いますし、今思えばその名前を付けてくれた方に感謝をしたいですね」

斎藤佑樹 涙のラスト登板

インタビューから5日後に迎えた引退試合。

「野球を自分がここまでやってこられたことを引退試合の日だけは誇りに思って最後に投げたい」

1点リードの7回、大きな拍手に包まれ2年ぶりの一軍マウンドへ上がった斎藤。
オリックス先頭の福田周平に真剣勝負を挑むもフルカウントの末、最後の一球が外れ四球に。

7球を投げ終え、ファンの拍手に晴れやかな笑顔で応えたが、ベンチで出迎えた栗山英樹監督に声をかけられると、最後は込み上げる感情を抑えることができなかった。

そして試合後に行われた引退セレモニー。
入団当初にバッテリーを組んでいたオリックスの中嶋聡監督から花束が贈られる粋な計らいに再び涙がこぼれる。
この後も高校の先輩でもある荒木大輔投手コーチやチームメートから労いの言葉がかけられた。

そして、セレモニーの挨拶で最後、こう結んだ。

「諦めてやめるのは簡単。どんなに苦しくてもがむしゃらに泥だらけになって、最後までやり切る。栗山監督に言われ続けた言葉です。その言葉通りどんなに格好悪くても、前だけを見てきたつもりです。『斎藤は持っている』と言われたこともありました。僕が持っているのは“最高の仲間”です」

大学時代と同じ最高の仲間と過ごしたプロとしての11年間。ハンカチ王子として一世を風靡し、多くの人の記憶に刻まれた野球人。33歳、第2の人生が今始まった。