10月11日、運命のドラフト会議。開始から3時間後、桐蔭横浜大学のエースで4年の菊地大稀(22)は巨人から育成6位指名を受けた。
この記事の画像(20枚)「これから本当に活躍して、両親に恩返しができるようにやっていきたいです」
“人生2度目”のドラフト会議で、佐渡島初のプロ野球選手が誕生した瞬間だった。
佐渡の「夢」を背負って
人口約5万2000人の新潟県佐渡島。
特別天然記念物「トキ」が暮らすこの島が、菊地の生まれ育った故郷だ。
小学1年生から野球を始めた菊地。
「食べ物が美味しくて大きく育ったと思います」と、佐渡島の大自然で育ったわんぱく少年は投手一筋でその才能を磨いてきた。
すると、進学した佐渡高校では複数の球団スカウトが視察に訪れる注目選手に。
ドラフト会議で指名がかかれば、佐渡島出身で初のプロ野球選手となるだけに島の期待は高まった。
指名漏れからの再出発
そんな島の大きな期待を背に迎えた4年前(2017年)のドラフト会議。
清宮幸太郎(早稲田実業→日本ハム)や中村奨成(広陵→広島)など次々と同世代の選手たちが夢を叶える中、菊地の名前は最後まで読み上げられることはなかった。
「4年前はレベルが低くて自分の実力が足りなかったと思います。本当に野球が大好きだったので悔しかったけれど、辞める気持ちはありませんでした。プロ野球選手になれるチャンスはまだあると思っていました」
当時、菊地を指導していた宮木洋介監督も「彼も佐渡から初のプロ野球選手というのをすごく意識していたので、『これから努力するだけだ』と本人に話をしました」と再起を促した。
再び見えたプロの扉
夢を追いかけ努力を続ける決断をした菊地。
生まれて初めて佐渡島を離れ、大学へと進学。
「絶対この4年間頑張ってプロになろうと思っていたので、誰にも負けたくないという思いはありました」
指名漏れの悔しさをバネにひたすら練習に打ち込むと、かつて大学日本一に輝いた桐蔭横浜のエースへと成長。188センチの長身から繰り出すMAX150キロのストレートを武器に、スカウトが見守る中、リーグ戦で快投。
再びプロへの扉が見えてきた。
「佐渡の野球をしている子が今減ってきているので、自分がプロ野球選手になって活躍して、佐渡の子どもたちがもっと野球を好きになってくれればと思います」
佐渡島の“未来”のためにも今年こそ必ず。人生2度目のドラフトにかける思いは人一倍強かった。
真野ファイターズの後輩と両親の思い
人生2度目のドラフト会議を翌日に控えた10日、故郷・佐渡島ではボールを追いかける子供たちの姿があった。
菊地が所属した『真野ファイターズ』の後輩たちは「真野ファイターズの誇り。自分たちの先輩がプロに入ったら夢がある」と島の「夢」を託す。
運命の日を翌日に控え、実家の両親も期待と不安でいっぱいだった。
「高校の時に指名漏れして、指折り日にちを数えて、4年後のドラフトを『あと何日だ』と数えてきましたが、いざ明日となると…まだ来なくてもいいかなとか…どうにか指名されるとうれしいです」と父・正博さん。
「明日、指名されるように祈っています」と母・美佐子さん。
運命の時は刻一刻と迫っていく。
運命のドラフト会議
そして迎えた11日、運命のドラフト会議。
佐渡島の実家では、息子の夢が叶う瞬間を心待ちにする両親の姿があった。
支配下では指名されず、ドラフト開始から3時間後だった。
「読売、菊地大稀。投手・横浜桐蔭大学」待っていた吉報がついに届く。
巨人から育成6位で指名され、4年越しの夢が叶った。
さっそく両親に電話で伝えると、「よかったね。ずーっと上へ上がってね」と母・美佐子さん。
「東京ドームへ行く準備してるしね」と父・正博さん。
「これから本当に活躍して、両親に恩返しができるようにやっていきたいです」と菊地。
佐渡島で育った少年は、ついにプロの世界へと羽ばたく。