東日本大震災と原発事故から10年。被災地と避難した人はどのように歩んできたのか。
福島・富岡町で被災した坂本孝子さんは、心の支えとなっている「おだがいさまセンター」で行う“語り人”の活動を通じて3.11と向き合い、記憶”をつないでいく。

震災の記憶を語る“語り人”

福島・郡山市にある「人の駅桜風舎」は、東日本大震災と原発事故を経験した“語り人”が集う場所。

「人の駅桜風舎」
「人の駅桜風舎」
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富岡町3.11を語る会・青木淑子代表:
10年が節目とかいろいろ言われますけど、節目でもなんでもなくて、これから先も今までと変わらず3.11が、何があって人生にどう影響を及ぼして、それを役立てていくのかというために語り継いでいくというのは変わらない

「富岡町3.11を語る会」の代表を務める青木淑子さん
「富岡町3.11を語る会」の代表を務める青木淑子さん

「桜風舎」で活動する“語り人”のほとんどが、今も一部の地域で避難指示が続く福島・富岡町の出身。坂本孝子さんも、そのひとり。

桜風舎 語り人・坂本孝子さん:
(地震の)揺れの大きさ、家の中にいられない。庭の木につかまっていたぐらい。あの地震から天と地がひっくり返った

東日本大震災の影響を語る坂本さん
東日本大震災の影響を語る坂本さん

原発事故直後、全域が避難区域となった富岡町は、約60km離れた福島・郡山市に役場機能を移転。多くの町民が県の内外に避難をし、仮設住宅などで生活を送った。

郡山市に避難した坂本さんは、富岡町に帰ることを望みながらも、自宅は野生動物に荒らされ、取り壊すことにした。

桜風舎 語り人・坂本孝子さん:
今は何もない更地です。でも富岡に行ったら、更地を見るのが「ここにあの家があったんだな」という

震災を風化させず「記憶」をつなぐ

先の見えない避難生活。ふさぎ込む日々の中、心の支えとなったのが共に避難する“ふるさと”の人々の存在だった。

桜風舎 語り人・坂本孝子さん:
元気になったという一つは、「おだがいさまセンター」に出入りが毎日できたというのが一番の楽しみでもあり、皆さんに悲しいことをお話しして、慰めてもらったり、そういうことができた仲間がいっぱいあったもんですから

「おだがいさまセンター」2012年当時の様子
「おだがいさまセンター」2012年当時の様子

郡山市の仮設住宅で避難者をサポートし、交流の場となってきた「おだがいさまセンター」。
ここで震災の記憶をつなぐ“語り人”の事業が始まり、坂本さんも被災の経験や避難生活の現状を伝えていくことを決めた。

桜風舎 語り人・坂本孝子さん:
語り人に入れてもらったおかげで、自分が体験したことをいろいろ10年経っているから、順々話せば長いけど、悲しいことから仲間との絆が強くなって楽しい

桜風舎 語り人・坂本孝子さん:
11日にあの地震で、12日に家を出て逃げました。川内村に向かって逃げました。川内村まで30分くらいでいけるところを4時間くらいかかりました。私なんかは遅かったものですから、川内村に着いた時には、いっぱいで入りきれなくて。そこからみなさん、西に東にばらばらになったんだなと思っています

避難する住民の様子
避難する住民の様子

坂本さんの願いは、震災を風化させず、ここに訪れた人が被災の記憶をつないでくれること。

桜風舎を訪れた男性:
(語り人の話)それぞれが一つの大きなストーリーというか、被災体験として大きなもの。ここ10年で風化とかが進んできている中で、当事者の方が元気に自分たちの体験を伝えていって、後々の教訓にしていこうとするのが大事なこと

桜風舎 語り人・坂本孝子さん:
富岡に帰れた人は幸せ。でも私たちみたいに、家も何も全部壊して帰れない人もたくさんいるということを、みんなに知ってもらいたい。色々な方々が聞きに来てくださることを待っています

坂本さんは、この場所で被災地、そして避難者の今を発信し続ける。

(福島テレビ)

福島テレビ
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