「36年間、娘への思いは変わらない」
1985年8月12日の日航ジャンボ機墜落事故から今年で36年。
遺族や関係者にとって36回目の夏となったが、その思いは様々だった。
私は、この夏初めて御巣鷹の尾根に登った。1度目は、取材の下見として、2回目は8月12日に遺族の皆さんを取材するために、1度目は登山がつらいという印象しかなかったものの、2度目は遺族のみなさんのつらい思いが伝わる登山となった。
24歳の娘を亡くした吉田公子さん。1934年生まれの87歳。
「80代になってからはこれが最後という思いで登っている。24歳のその娘の姿しか思い浮かばない、36年間、娘への思いは何年たっても変わらない」

「悲しみは愛だと思っている」
9歳の次男を亡くした美谷島邦子さん。

遺族の会8.12連絡会の事務局長で74歳。昨年出版した絵本「けんちゃんのもみの木」を持参して登り、今年初めて孫のかりんちゃん(12)が墓標の前で音読した。
この事故を後世にも伝えるため、1冊の本に思いを託した美谷島さん。
「36年間の安全への願いと悲しみをきちんと形にして、私は、悲しみは愛だと思っているので愛を込めてこの絵本を作りました。多くの子どもに手渡したい」


36年の年月と共に遺族の高齢化は進み、この事故を知らない世代が増えている。 高齢化や新型コロナウイルスの影響もあり今年の慰霊登山は、50家族143人にとどまった。これまで最多の2015年の106家族406人に比べると半数以下となっている。
遺族にとっては8月12日が特別な日であり、 きょうからまた1年が始まる、という言葉が最も印象に残っている。
<撮影編集後記>
日航機墜落事故の追悼慰霊式を取材することが決まり、事故や犠牲者、そして慰霊登山を続けているご遺族について調べた。私が生まれる前に発生したこの事故は、私にとってはずっと「毎年8月12日に伝えられるニュース」だった。
家族や親しい人を失った人が、何のために、どんな思いを抱いて御巣鷹の尾根を登り続けているのか。そして、どんな景色を見つめているのか。想像できなかった。御巣鷹の尾根に登って、ただ撮影をしても伝えるべき事が捉えられないと思った。

これまで山を登り続けてきた吉田さんに話を伺った。
「亡くなった当時24歳のままの娘と会話をしながら山を登ってきた。」
そう語る瞳の先には何が見えているのだろうか。
一歩、一歩。
慰霊碑(昇魂之碑)までのおよそ1キロを、時間をかけてゆっくりと歩む。かけがえのない大切な人に会いたいという願いが、歩みを前に進めている。慰霊碑にたどり着いた吉田さんの表情は穏かだった。
取材を終え、ふと立ち止まり、空を見上げた。誰もいなくなった御巣鷹の尾根は、静寂に包まれていた。

執筆:滝澤教子(社会部)
撮影・編集・執筆:永岡清香(撮影中継取材部)
音声:大谷美徳(撮影中継取材部)




