自由民主主義の根幹とも言える「言論の自由」が、韓国で続けざまに脅かされている。「慰安婦の事実」を報じただけで起訴されうる法案が国会に提出された他、「報道を萎縮させる」との批判が世界中のジャーナリストから寄せられている「メディア懲罰法案」も与党の強硬採決により国会の委員会を通過した。さらに慰安婦問題について主流派とは異なる意見を大学の講義で述べた教授が起訴され、刑事事件の被告人となっている。

言論弾圧に繋がりかねない法案の成立に邁進する与党に対し、野党からは「ここは北朝鮮なのか!」との声まで上がった。

慰安婦関連は「事実」でも名誉毀損で起訴

韓国の与党「共に民主党」の国会議員らは8月13日、「日帝下日本軍慰安婦被害者に対する保護・支援および記念事業などに関する法律一部改正案」を国会に発議した。その内容は、「元慰安婦や遺族を誹謗する目的で慰安婦に関する事実を摘示したり、虚偽を流布することで、被害者、遺族、または慰安婦関連団体の名誉を毀損してはならない」というものだ。違反者は5年以下の懲役または5000万ウォン(約470万円)以下の罰金に処するという。新聞、放送などメディアだけではなく、出版物、討論会や懇談会、記者会見、集会、街頭演説などでの発言も処罰対象に規定されている。

注目すべきは「事実」であっても「誹謗中傷目的だ」と認定されれば罰せられる事だ。例えば、「2015年の日韓合意により、当時生存していた47人の元慰安婦の7割以上が日本政府の資金を受け取っていて、合意に反対しているのは少数の元慰安婦だ」という「事実」を私が記事にした際、元慰安婦が「誹謗中傷目的の記事だ」と考えれば刑事告訴出来るし、検察が元慰安婦に同意したら私は起訴される。

極端な例ではあるが、もし起訴されれば多大な訴訟コストを強いられるため、報道への萎縮効果は確実にあるだろう。また慰安婦問題には様々な異論が存在し、特に「強制性」などについては学会でも諸説ある。しかしこの法案が通れば、例え事実であっても「誹謗中傷目的だ」と言われれば起訴されてしまう。これでは、自由な討論や研究は出来なくなる。

「フェイクニュース」の賠償金は5倍

8月18日、韓国国会の委員会で与党議員がある法案について強行採決すると、野党議員からは「ここは北朝鮮か!」という怒号が飛んだ。その法案とは「言論仲裁法」。世界的に問題になっている「フェイクニュース」による被害を食い止めるために、個人や団体の名誉を損ねる報道をしたと裁判所が認めた場合、被害者が受けた損害の最大5倍を懲罰的な賠償として命じる事が出来るとの内容だ。またインターネットメディアに対しては、訂正報道とともに記事閲覧の遮断も請求出来る。

野党「国民の力」は報道の自由を侵害するとして法案に徹底抗戦している
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与党「共に民主党」8月25日の本会議での法案通過を目指したが、議長がさらなる議論が必要と判断し延期となった

韓国では、政界同様にメディアも保守と進歩に分かれていて、対立の根深さから反対陣営への批判がエスカレートしがちだ。誇張された表現や事実誤認も少なくない。さらにインターネット上には中小のメディアが乱立していて、虚実入り乱れた記事が飛び交っている。世論調査ではメディアに対する信頼度は概して日本よりも低い。こうした背景から、フェイクニュースを厳しく取り締まるべきとの法案の趣旨に賛同する声が多いのは事実だ。

しかし、この法案には問題も多い。韓国メディアと野党からは、フェイクと判定する基準が曖昧であり、「悪意ある報道ではない」と立証する責任がメディア側にあるのは問題だとの指摘が相次ぎ、言論弾圧に繋がるとの批判が上がっている。

批判は韓国内だけに留まらない。国際的なジャーナリストの団体である世界新聞・ニュース発行者協会(WAN-IFRA)は、フェイクニュースかどうかの判断が裁判所に委ねられる点について、「解釈の乱用につながる余地が大きく、萎縮した記者は自ら検閲をすることになる」と批判している。

国際新聞編集者協会(IPI)も「懲罰的損害賠償を許容する法案は批判的な報道を萎縮させる」と指摘。「2022年3月の大統領選挙を控え、権力者に対する批判的報道を抑えることに利用されかねず、韓国内の言論の自由が危険にさらされているという指摘が出ている」として撤回を求めた。

我々フジテレビも所属しているソウル外信記者クラブ(SFCC)も、「韓国が積みあげてきた国際的なイメージと自由な言論環境が後退する危険に陥りかねない」と懸念を表明した。

フェイクかどうか判断する韓国の裁判所が、時の政権の意向を忖度しがちとの意見もある上、科される賠償が被害の5倍となると、報道の萎縮は避けられないだろう。この法案が成立すれば、IPIが指摘しているように、次期大統領選挙を前に与党への否定的な報道を萎縮させる事になりかねず、選挙の行方にも影響を及ぼす可能性がある。

与党は8月25日の本会議で法案通過を目指していたが、議長がさらなる議論が必要と判断して延期を決定した。

学問の自由も危機に

8月13日、日本、アメリカ、韓国の大学教授ら72人が共同声明を発表した。「柳錫春(リュ・ソクチュン)元延世大学社会学科教授に対する起訴を憂慮する日韓米学者共同声明」だ。賛同者には著名な哲学者であるマサチューセッツ工科大学のノーム・チョムスキー教授も名を連ねている。

柳錫春氏は、韓国の名門・延世(ヨンセ)大学の元教授で、社会学者だ。在職中だった2019年、大学の講義で「慰安婦は売春の一種」「日本だけがこうした犯罪をしたのではなく、世界中の国家がこうした売春を黙認している」「もちろんそれは道徳的に誤っていると判断すべき。しかし(売春は)存在する。存在することを、日本に対してだけ罵る、おかしなことです」などと発言。

元慰安婦らが名誉毀損だとして刑事告訴し、韓国検察は2020年10月、柳元教授を起訴した。柳元教授の発言内容は、韓国で一般的に「定説」とされているものに反するが、韓国や日本、アメリカの歴史学者などの間で論争になっている、慰安婦問題についての一つの見解だ。「学問の自由」が保証されているのであれば、大学という場で、大学教授が学術的な論争のある問題の一見解を披露しただけで、刑事事件に発展するなど考えられない。

共同声明は柳元教授の起訴について「開かれた討論と自由な意見交換がなされなければならない象牙の塔にも『検閲の文化』が 次第に忍び込んでいることを示しています。私たちは大学において学問の自由と表現の自由は断固として保護されるべきだと思います。」と痛烈に批判した。

その上で「教授に有罪判決が下されれば韓国の言論と学問の自由を脅かす危険な先例を残すことになりかねず憂慮されます」「私たちは、この声明を通じて学問の自由と言論の自由に対する追求と支持の立場を明らかにしようと思います。その上で、今回の裁判所の判決が、韓国憲法に規定された民主的価値を毀損し制限しないことを心から望みます。討論に対する根本的な抑圧、通念と異なる考えに対する偏狭、学者に対する不当な起訴は、韓国の高等教育の発展を妨げるだけです。」と無罪判決を求めた。

文大統領「言論の自由は民主主義の柱」

文在寅大統領は8月17日、韓国記者協会創立57周年に際し「言論の自由は民主主義の柱」「言論の自由は誰も揺るがすことができない」との祝賀メッセージを寄せている。

このメッセージがブラックジョークにならない事を祈るばかりだ。

【執筆:FNNソウル支局長 渡邊康弘】