終戦から76年。福井県内にはいくつかの地下軍需工場があったが、軍事機密だったため記録は少なく、地元の人々もはっきりとは分からないことが多い。

その一つが、福井・鯖江市内の山中にある巨大な軍需工場の跡地。地元でもその存在を知る人は少なく、忘れ去られようとしている。
今回特別に取材の許可をもらい、福井テレビのカメラが入った。

軍事工場跡地に向かう姿
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鯖江市の東部に位置する三里山。この地下に、巨大な軍需工場の跡地がひっそりと眠っている。
安全管理のため普段は立ち入り禁止になっているが、今回 特別に許可をもらい、地元の人の案内の元でカメラが入った。

※今回は、特別に許可をもらい撮影。崩落などの危険もあるため絶対に無断では立ち入らないように※

工場が空襲から逃れるため穴を掘削

地下工場の入り口。撮影日は30度以上あるとても暑い日だったが、この穴の中からは冷たい風が吹いてくる。

中に入ると、何十メートルもの穴が続き、途中で何本も折れ曲がる迷路のような構造になっている。アメリカ軍が戦後行った調査団の報告によると、地下工場は大きく2つの区画で構成され、高さは最大5.5メートル、幅7.6メートル、長さ約90メートルにもなる。

この穴が掘削されたのは戦争末期。三菱重工の工場として戦闘機の部品を作るため、巨大な穴が作られた。

この地区で生まれ育った、石本義幸さん(78)。親や近所の人から地下工場の存在を聞いたと言う。

鯖江市下新庄町在住・石本義幸さん:
軍需産業用の機械を造るということで、地下工場を全国展開していた中で、この三里山の岩場に目をつけた

戦時中、国内の地上の軍需工場の多くが、空襲の標的となった。このため、全国一斉で地下に軍需工場を作る計画が進められ、各地で巨大な穴が掘削された。

鯖江市下新庄町在住・石本義幸さん:
元々、この辺は石を産地する土地だったので、岩の質が丈夫で、工場用にはとても良かったらしい

掘削には、朝鮮半島から来た外国人労働者らが動員され、今も作業の跡が見て取れる。

鯖江市下新庄町在住・石本義幸さん:
今でいう削岩機の先端が、この辺を通ったのだろう

地面に残る規則的なくぼみは、機械などを運ぶトロッコの枕木の跡と思われる。
言葉通り「突貫工事」が行われ、次々と機械が搬入されていた最中に終戦を迎え、工場では何も生産されないまま、巨大な穴だけが三里山に残った。

鯖江市下新庄町在住・石本義幸さん:
戦争が継続していれば、この辺も軍需産業のターゲットとして、戦争の被害にあったかもしれないので、早く終わってよかった

知るもの少なく…歴史的事実の継承が問題に

戦後76年、現在は崩落などの事故を防ぐため、周辺への立ち入りは禁止されている。いくつかの入り口は封鎖されていて、地元ではこの穴の存在が忘れ去られつつある。

当時の話を知るのは、石本さんら、ごく一部の高齢者のみで、歴史的な事実の継承が喫緊の課題となっている。

鯖江市下新庄町在住・石本義幸さん:
歴史的なものとして、日常の中で考えていくべきことだと思う

今回、取材に同行した鯖江市教育委員会文化課の藤田彩さんは、鯖江市の歴史を調査する専門の職員だが、この穴の存在は今回の福井テレビの取材まで聞いたことがなかったという。

鯖江市教育委員会文化課・藤田彩さん:
歴史的に大切にされていて、平和な日常が営まれている三里山に、軍需工場の跡が今も残っているのには驚いた。
地元の人が、若い世代や子どもたちに対して、戦争の恐ろしさや平和の大切さを伝える手助けを積極的にしていきたい

自然豊かな三里山の地下に、ひっそりと眠る巨大な軍需工場跡地。次の世代に語り継ぐために、残された時間は多くはない。

(福井テレビ)