妻子を原爆で失い…気丈に生きた祖父の思い

被爆から76年を経て、原爆資料館には今も多くの遺品や資料が寄せられる。その数は約9万5,000点。
1つ1つが、原爆犠牲者の生きた証しだ。
受け皿となる資料館の役割、そして新たに遺品を寄贈したある男性の思いを聞いた。

広島市の平和記念資料館、通称「原爆資料館」。

広島市の平和記念資料館
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あの日から76年がたつ今も、数多くの被爆資料が寄せられている。
2021年の新着資料展には、1年間に寄贈された4,758点の中から176点が展示されている。

広島市西区の新田英明さん(56)も、遺品を寄贈した1人。

寄贈者・新田英明さん:
これがおじいちゃんの奥さんと息子さん2人で、原爆で亡くなった。おじいさんの供養というか、残していくためにも、それが一番なのかなと思って寄贈させていただきました

原爆で妻子を失った祖父の遺品を寄贈した新田英明さん

祖父の孝作さんは76年前、原爆で妻と2人の子どもを失った。

新田英明さんと祖父の孝作さん

妻のタメ子さん(39)と次男の正紀さん(11)は、今の本川町にあった自宅で、長男の孝洋さん(13)は、学徒動員先の八丁堀辺りで原爆に遭ったという。

新田孝作さんの長男・孝洋さん、次男の正紀さん、妻のタメ子さん

孝作さんは、行方がわからなくなった孝洋さんを必死に探したが、なかなか見つからず、諦めかけた時、なぜか孝洋さんに呼ばれているような気になり、向かった先で黒焦げとなった孝洋さんの遺体を見つけたという。

寄贈者・新田英明さん:
自分も死のうかと思ったけど、伝えていく者もいなくなるんで何とか自分は頑張って生きてきた、というのはよく話してましたね。強い人だったと私は思います。本当に

気丈に生きた孝作さんだったが、生涯、3人のことを忘れることはなかった。

寄贈者・新田英明さん:
すごく覚えてるのが、とにかく「かわいそうなことをした」と。小さい、これ位の写真を持ち歩いてたのを覚えてるんです。前の亡くなった奥さんと子どもさん2人。
観光なんかに行った時にきれいな景色などあると、必ずこうして見せていたのを子ども心に覚えている

現在の本川町辺りに、孝作さんの自宅はあった。

寄贈者・新田英明さん:
もっとよく聞いておけば良かったんですけど、左官町、この辺りにうちのおじいちゃんが住んでたんじゃないかと。この辺で奥さんと息子の1人が亡くなられたのを見つけたって。夏だから、今日みたいな暑い時に、さらに原爆が落ちて、悲惨な感じだったんかなと思うんですけど

遺族も知らない事実眠る…被爆資料は「物言わぬ証言者」

取材を進める中で、新たにわかったこともあった。

当時、自宅があった左官町、現在の本川町にある善應寺。
境内には、この町で亡くなった犠牲者の供養塔があった。

寄贈者・新田英明さん:
そこにあるんですね、これです。これはおじいさんからは、全然聞いてなかったですね

石碑に刻まれた263人の中に、祖父孝作さんの前妻・タメ子さんと2人の子どもの名前があった。

寄贈者・新田英明さん:
初めまして、新田です

臨済宗妙心寺派善應寺・吉中良岳住職
原爆が落ちて七回忌の時に、近所の方が集まって慰霊碑を建てようということで。忘れずに(慰霊を)やってほしいとは思います

臨済宗妙心寺派善應寺・吉中良岳住職

寄贈者・新田英明さん:
月日がたつにつれて、薄れていくと思うんで、それを絶やさないようにはしていきたいという気持ちはあります

原爆投下から76年がたち、原爆を体験した人は少なくなっている。
しかし、ヒロシマには新田さんのように、遺族も知らない事実が眠っているのではないか。

原爆資料館学芸課・下村真理さん:
ご寄贈者それぞれ、すごく大切なご遺品を二度とこんな思いをする人がいてほしくないという思いで、資料館にやっとの思いでご寄贈くださっている。それを感じて、見られる方もお1人お1人が、二度とこんなことがあってはいけないと胸に刻んでいただければいいかなと思っております

原爆資料館学芸課・下村真理さん

「物言わぬ証言者」とも言える「被爆資料」。
亡くなっていった人たちの代わりに、あの日の出来事を語ってくれる。

「二度と核兵器を使ってはいけない」「二度と戦争が起きない世界を作ってほしい」。

犠牲となった人たち、そして平和を願う私たち1人1人の思いが託された「原爆資料館」。
その使命は、未来永劫変わることはない。

寄贈者・新田英明さん:
広島という所に生まれ育ったので、身近に原爆という悲惨なことがあったということが…広島に生まれたことによって、強いって言いますか。平和も含めて、こういう悲惨なことが二度と起きないように、できることを探しながら、伝えていければいいと思います

(テレビ新広島)