「まず空気がおいしかったです。小さい部屋にいるときは同じ景色しか広がっていなかったので、違う景色が見えるだけですごく幸せな気持ちになりました」

1人の30代の男性が水際措置で滞在していた成田空港近くのホテルを退出した。

インドネシアなど新型コロナの変異株流行国から帰国する日本人は現在「検疫所が指定する施設で10日間待機すること」が求められている。インドネシアの感染拡大は深刻で、政府も「今後帰国を希望する邦人の方々が増加することが予想される」とし、7月14日にANAの特別便を就航し、帰国を支援した。

成田空港・14日
成田空港・14日
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この男性も感染が深刻なインドネシアからの帰国を急ぎ、特別便よりも前に帰国した。現地で日本人が目にしたインドネシアの状況や帰国後の“隔離生活”について写真を見せてもらいながら、話を聞いた。

成田空港・14日
成田空港・14日

現地日本人に衝撃 ワクチン探しに奔走

7月4日。インドネシアに駐在する日本人に衝撃が走った。インドネシア政府が新型コロナの感 染拡大を踏まえ、「インドネシア国内に滞在中の外国人が国外へ移動する場合、国内でワクチン接種を受けなければならない」と通達を発出したためだ。インドネシアに滞在する多くの日本人はワクチン探しに奔走することとなった。

「現地の状況は日に日に悪化し、病床の数が足りなくなっていました。日本人を含めた外国人は国外に出ることもできなくなり、ワクチンを探し回りました。しかしインドネシア国内では中国のシノバック製ワクチンの流通がほとんどで、一部アストラゼネカ製もありましたが数が限られていました。アストラゼネカ製を手に入れるには現地の財閥が運営している病院に直接赴き、在庫があれば打てるというものしかないという状態でした。しかし、残念ながら病院に行ったけど打てなかったという話も聞きました。他にはインドネシア商工会議所などで提供しようとするプランもあったようですが、情報が錯綜していて、どこにいけば打てるのか手探りの状態でした」

インドネシア政府の方針は後に修正されたが、今度は7月6日に日本政府がインドネシアからの入国者の待機期間の延長を発表する。これは7月9日から待機期間を6日間から10日間に延ばすとするもので、現地の日本人からは「正直、10日間も隔離されるのは勘弁」という声が多くあがり、7月9日までに帰国を目指す日本人が増えたという。

集団行動で“隔離先”へ バスの座席にビニールシート

この男性は7月9日の前にインドネシアから出国した。搭乗した成田行きの便には普段より多くの日本人が搭乗していたという。

そして飛行機は成田空港に到着。“水際”検査を受けることとなる。

「まず飛行機から順番に並んで降ります。その後、一つ目のブースがコロナ検査のブース。次のブースが位置確認アプリについてのブース。そうやってブースをいくつか回って行き、最後に検査の結果を席で待ちます」

「グループ分けがされて待つのですが、例えば『1~10番の人。検査結果が出たので来てください』という風に呼ばれ検査結果をもらいます。その後は呼ばれたグループごとに行動します。結果をもらったら、入国審査を経て到着ゲートから出ていく。グループ全員同じバスで移動します。トイレに行く人がいれば、その人を待ちます。私の場合、10人ほどの集団になって、隔離先へと向かいました」

※写真:移動に使ったバスの車内
※写真:移動に使ったバスの車内

乗り込んだバスの座席はすべてビニールで覆われていた。男性はその様子に驚いた一方で、「ちゃんと対応しているなという印象を持った」と言う。

食事はドアノブに…“待機”生活始まる

バスは成田空港近くのホテルに到着。

※写真:ホテルのロビー
※写真:ホテルのロビー

「中に入るとホテル内に設けられたブースに案内され、部屋番号が通達されます。名前や家族について告げるのですが、家族がいるなら部屋が隣同士などの配慮があるようです」

部屋に入り、まず衝撃をうけたのは部屋の大きさだったという。部屋のスペースはほぼベッドで占められていて、中での生活は壁際にあるデスクとベッドの往復となった。さらに入室初日に部屋の中にゴキブリが出て気分を落とした人もいたそうだ。

さらに男性に追い打ちをかけたのは食事だった。

「1日3回の食事の配達ですが、朝が8時半ごろなのですが、夕食の時間がすごく早かった。早い日は午後3時半です」

配られた弁当の写真を見せてもらった。

※写真:待機中の食事
※写真:待機中の食事

「食事の弁当はドアノブにかけられ、配り終わるまで取ってはいけないんです。そして弁当は冷たい。カレーも冷たいんです。炒め物が多かったが、油が多い料理は油が白く固まっていたのが特に辛かった」

弁当を温めれば良いのだが、部屋に電子レンジは置かれていない。そこで、こんな工夫をしていたという。

「ケトルはあるんです。だからケトルの上に弁当をのせて温めていたんです。蒸気を弁当の下に置いて温めるんですよ」

また、弁当の支給はとてもありがたかったものの、1枚の写真を見せながら、男性はこぼした。

※写真:待機中のホテルの廊下
※写真:待機中のホテルの廊下

「弁当を食べ終わったら廊下に置くのですが、廊下には食べる前の弁当とゴミが混在するんですよね。さらに朝と昼の感覚短いので、朝食をピックアップしない人がいると、昼食は床に置かれていました。不衛生とは言わないですが、悲しい気持ちには正直なりました」

そんな中、大きな助けとなったのは、家族や知人からの差し入れだったという。

「外の食事を持ち込むにはいくつか方法があります。1つ目はホテルの1階にあるコンビニに決まった時間に注文できるんです。商品のリストがないので思いつく品物を内線で言います。そうするとお金を取りに来てくれるので、集金袋に想定の額を入れて買ってきてもらえます」

「2つ目は家族や知人からの差し入れです。ただ、生ものはダメです。従って湯煎できるカレーなどをお願いします。レンジがありませんので。ケトルの中でカレールーを温めたのは人生で初めてでした(笑)」

もう一つ困ったのは洗濯だったという。

「コインランドリーを順番に使うこととなります。6日間待機組が多かったときは電話で予約して、空いていれば使えました。しかし滞在3日目くらいから10日間待機組が入ってくると、『6日組はコインランドリーを使えません』と言われてしまいました。30円で小さな洗剤を購入し、部屋で手洗いして、干してくださいと。窓は半分もあかないので生乾きです」

待機生活終えて「空気おいしかった」

こうした生活が6日間続き、待機中に2回のPCR検査を受け、陰性が確認されて退室の日を迎える。

「午前に受けたPCR検査の結果が午後2時には出ます。その後、希望するバスの乗車時刻をホテルの内線で伝えるんです。一番早くて当日午後4時のバスになります。翌日でもOKです」

このバスには、行きにはあったビニールはなかったという。

6日間に渡る待機生活を終えた時、男性はこう感じたという。

まず空気がおいしかったです。小さい部屋にいるときは同じ景色しか広がっていなかったので、違う景色が見えるだけですごく幸せな気持ちになりました。一方で、海外駐在員がこれからも続々と帰国する状況下、ただでさえこれまでコロナ禍での厳しい海外生活が強いられていたにも関わらず、母国に帰国しても厳しい隔離生活を強いられる。せめてもう少し丁寧な受け入れをして欲しいと思いました」

男性は現場スタッフの配慮や対応について心から感謝していた。一方でホテル内のコンビニでの個別の注文やコインランドリーについて案内はなく、同じ便で帰国した仲間と連絡を取り合い、情報共有をして状況の改善をはかったという。

新型コロナの感染拡大を防ぐために、水際対策は極めて重要だ。男性は待機生活について「精神面での負担は想像を超えるものだった」と振り返るが、1日1000人を超える日本人が連日帰国する中、帰国者の待機生活について、改めて考える時が来ているのかもしれない。

(政治部・杉山和希)

杉山 和希
杉山 和希

義理と人情とやせ我慢を大事に取材に励みます
報道局政治部 首相官邸&麻生派担当。1992年岐阜県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、2015年フジテレビ入社。「情報プレゼンターとくダネ!」ディレクターを経て現職