沖縄戦の戦没者を追悼する「慰霊の日」までの5日間、遺骨収集ボランティアの男性がハンガーストライキを決行した。
男性は、沖縄戦の激戦地・沖縄本島南部から、名護市辺野古の埋め立て用の土砂を採取する国の計画に反対を続けている。

沖縄県庁前でハンガーストライキを決行
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遺骨収集から感じる激戦地・本島南部とは…

2021年6月19日の沖縄県庁前。遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松さんが、3月以来2度目となるハンガーストライキを始めた。

遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」

遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」・具志堅隆松代表:
玉城デニー知事に対して、ただ1点、沖縄防衛局が提出してる承認申請を不承認にしてくださいってことです

沖縄戦の激戦地だった沖縄本島南部から、辺野古の埋め立て用の土砂を採取する国の計画に反対を続ける具志堅さん。

39年にわたって続けてきた遺骨収集から感じる激戦地、本島南部とは…

遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」・具志堅隆松代表:
骨の歯の状態から、完全にお年寄りだと。兵隊年齢どころじゃないというような。そして子どもがいるということ。そうなると、これは住民の方が多いんじゃないかと

袋からのぞくのは多くの遺骨

南部戦線に看護要員として従軍した女性は…

本島南部・糸満市米須にある魂魄の塔は、戦後最初に建てられた慰霊塔。

魂魄の塔 沖縄・糸満市米須

慰霊の日を前に、この場所を訪れたのは翁長安子さん(91)。
ひめゆり学徒隊も組織された県立高等第一女学校の2年生だった翁長さんは、首里に陣地を築いた日本軍の永岡隊に入隊、看護要員として従軍した。

ひめゆり学徒隊も組織された県立高等第一女学校の2年生

76年前の6月22日。アメリカ軍に降伏するため、このガマから出たときに嗅いだにおい、そして遺体が散乱した光景が脳裏に焼き付いて離れない。

翁長安子さん:
こんなにおいは、もう嗅げない。黒ずんだ色に膨れ上がって、そして軍服なんかボタンがはちきれて、目鼻口、全部ウジがわくでしょ。米須からこの辺一帯は死の墓場ですよ、全部

本島南部が激戦地となる引き金となったのが、第32軍の南部撤退だ。
本島中部から上陸したアメリカ軍が、首里城の地下に造られた司令部に迫っていた。

本島南部の沖縄戦

本土への上陸を1日でも遅らせるため、第32軍は5月下旬、南部への撤退を決めた。
この決定が、戦火を逃れて南部に避難していた多くの住民を巻き込むことにつながった。

翁長安子さん:
首里で終わっておけば、こんなたくさんの犠牲はないですよ

南部撤退にあわせて、翁長さんが首里から南へと逃げるときには、すでに焼け野原に多くの遺体が。横たわる亡骸には、住民の姿が増えていった。
第32軍の南部撤退で、県立第一高等女学校から「ひめゆり学徒隊」に動員された翁長さんの級友たちも命を失った。

翁長安子さん:
陸軍病院にいた三角兵舎のお姉さんたちも、南部に来るまで16名しか亡くなってないのに、18日の解散命令のあとに60名近くがこの辺で亡くなっているでしょ。
友達2人もね、首里で終わっておけば、貞子ちゃんも信子姉さんも元気だったのにねって、よく思いましたよ

群がる遺骨…住民の手で集め魂魄の塔に

終戦から約半年、石川の収容所から翁長さんたち真和志村の住民が集められて移されたのは、降伏したガマの近く、糸満市米須だった。

翁長安子さん:
豚小屋、タンク、井戸のそば、石垣、大きな木の根っこ、残っている家の軒下。こんなところにたくさん群がって亡くなっているわけよね

道端にある白骨遺体

半年の月日が経過した戦没者の亡骸は、白骨化して散らばっていた。
翁長さんたちは遺骨を拾い集め、真和志村の住民の手で3万5,000柱の遺骨が魂魄の塔に納められた。

翁長安子さん:
どんなに悔しい思いを、みんなしながらこの遺骨収集をしたかということ。淡々とはしていませんよ。みんなそれなりに…心に受けてやっていますから

戦後、米須のように遺骨を集めなければ生活を踏み出せないほど、おびただしい数の遺体が各地に残され、死者を弔うための慰霊碑が住民の手で建てられた。

本島南部にはこうした慰霊碑が多く点在し、糸満市から八重瀬町にかけて、国内で唯一、戦跡としての性格を持つ国定公園に指定されている。

本島南部の惨状を知る翁長さんは、この地域の土砂を軍事基地の土台にすることは許されることではないと力を込める。

翁長安子さん:
みなさんの肉や血がしみ込んでいる。この中に入っている方々は骨だけであって、血や肉は入っていないよ。「血や肉がしみ込んでいるここの土砂を、辺野古に運ばせないように見守ってください」と言っている

ハンガーストライキは「沖縄戦の最後の激戦地」へ

具志堅隆松さんのハンガーストライキは、3日目から、沖縄全戦没者追悼式が執り行われる糸満市摩文仁に場所を移した。沖縄戦の最後の激戦地と言われ、平和の礎の名前に遺族が手を合わせに訪れるこの場所。

遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」・具志堅隆松代表:
「安らかに眠ってください」と言いたいんですけど、今年は状況が違います。戦没者が安らかに眠っているのが重機で掘り起こされて、海に捨てられるかもしれない

沖縄戦で住民と軍隊が混在し、誰がどこで最期を迎えたか定かではない本島南部。
「ガマフヤー」の訴えを通じて、遺骨が帰ってくることを望む遺族の声が大きくなっている。
具志堅さんは慰霊の日に、この場所で、埋め立て土砂を本島南部から調達しようとする国の工法変更申請を承認しないよう求める要請書を玉城知事に直接手渡す。

遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」・具志堅隆松代表:
慰霊の日という非常に象徴的な日に、受け取ってほしいですね

迎えた慰霊の日、玉城知事は式典終了後、具志堅さんのもとを訪れ「いろんな人の声を受け止めて、私もしっかり考えたいと思います」と応じた。
そして、具志堅さんの5日間のハンガーストライキは終了した。

(沖縄テレビ)

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