バイデン大統領の出席がG7の「成果」

「バイデン氏自身が歓迎されているのと同じくらいに、彼は誰かさんではないということでも歓迎されている。」

“Biden is being welcomed as much for who he is not as for who he is.”

現地発12日のワシントン・ポスト紙の一節である。

まずは何よりも、アメリカ大統領としてバイデン氏が出席したことが今年のG7サミットの成果ということなのかもしれない。

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半ばジョーク、もしくは半ば皮肉だと思うが、G7サミットに関する海外ニュースをモニターしていて、このような論評が散見されたのが印象的だった。

実際、欧州のうるさ型国家・フランスのマクロン大統領も、サミット二日目12日の個別会談で、報道陣の前で次のように述べ、バイデン氏を手放しで歓迎した。

「アメリカの大統領が(仲間として)クラブに参加し、極めて協力的なのは素晴らしいことだ。バイデン大統領が行動で示したのはリーダーシップとはパートナーシップであるということだ。我々はこれを高く評価する。」

“it’s great to have the U.S. President part of the club and very willing to cooperate. And I think that what you — what you demonstrate is that leadership is partnership. And — and we do appreciate it“

 
 

アメリカ・ファーストというスローガンを掲げ、国際社会でも自己中を押し通そうとした前任者から、協調を掲げるバイデン氏にアメリカ大統領が代わったことは、百戦錬磨の各国首脳にとっても、それだけで安堵できる歓迎すべきことだったようだ。

「協調」「結束」の演出

ただ、この為、今回の首脳会談でアメリカや議長国・イギリスは「協調」や「結束」の演出により腐心することになった。それが少し残念でもあった。

勿論、トランプ時代ではあるまいし、仮にあったとしても、わざわざ亀裂や不協和音を見せびらかすはずもない。だが、結果的に、首脳宣言が、特に中国問題に関して、事前に想像したより穏当な表現になった感は否めない。

例えば、宣言には、台湾海峡の平和と安定が明記され、ウイグルや香港の人権尊重、強制労働や南シナ海問題への懸念などが書き込まれている。しかし、「非難する・condemn」という言葉は使われていない。ミャンマー等他の幾つかの国に対する記述では使われているのに中国やロシアに対しては使われていない。もちろん「大量虐殺・genocide」という記述もない。

首脳会議終了後の記者会見でも、アメリカ・メディアの記者とバイデン大統領の間で次のようなやりとりがあった。

「G7首脳宣言で中国に言及されたのは確かにこれまでと違うところです。しかし、大統領が望んだほど厳しい表現にはなりませんでした。我々が見た草案程タフなものではありません」「大統領は満足していますか?」

“The final language in the G7 communiqué does have some mentions of China, which is different from past years, but I know it’s not as tough as you and your team wanted it to be. We’ve saw — we saw a draft of the communiqué, and it’s not quite as tough.”“are you satisfied with what came out in the communiqué?

「私の同僚達(担当チーム)は彼らが望むように宣言を改良できる余地があったと考えていると思います。しかし、私は満足しています。」

“I’m sure my colleagues think there’s things they think they can improve that they wanted. But I’m satisfied.”

中国の政治的“レッドライン”にG7が異議

これでは近年ますます力をつけ“戦狼外交”を展開する中国に舐められるのではないかと危惧する声が出てきても不思議ではない。

しかし、アメリカの元シニア外交官で香港総領事も務めたカート・トン氏は今回の首脳宣言を次のように評価する。

「台湾、新疆ウイグル自治区、香港、東シナ海と南シナ海という、北京が政治的“レッドライン”としている問題について、G7首脳は異議を唱えました。アメリカとイギリスがこれらの懸念についてドイツやイタリアの抵抗を克服することができたことは重要です。」

“The leaders challenged China on several issues that Beijing portrays as political “redlines,” including Taiwan, Xinjiang, Hong Kong and both the East China Sea and South China Sea. It is significant that the U.S. and UK were able to overcome any reluctance from Germany or Italy on these concerns. “

トン氏は続ける。

「また、世界保健機関が主導するものですが、新型コロナの起源に関して“タイムリーで透明性のある専門家主導”の研究の第2ラウンドを認めるよう、G7首脳が中国に圧力を掛け続けたことも重要です。G7諸国の開発機関が発展途上国のインフラストラクチャを構築するために協力する“世界のより良き再建計画・Build Back Better World(B3W)”も、中国の一帯一路プログラムとの競争に明確に焦点を合わせています。」

“It is also important that the G7 leaders continued the pressure campaign on China to permit a “timely, transparent, expert-led,” second round for the COVID-19 origins study, although one led by the World Health Organization.

The Build Back Better World (B3W) partnership through which the development agencies of G7 countries will cooperate to build infrastructure in the developing world is also clearly focused at competing with China's Belt and Road program. “

舞台裏では、現世御利益をより重視するドイツやイタリアがやはり中国に関する表記をもっと減らすか和らげるよう主張したということのようだ。この為か、一部がアイデアとして検討していた中国の人権問題に関する独立調査の開始呼び掛けや来年の冬季北京オリンピックへの言及は見送られたらしい。

また、BBCの報道では、議長国イギリスの、とあるチャリティー団体代表は「指導者たちは善意を持って集ったが、小切手帳は持ってこなかった。」“Leaders arrived ‘with good intentions but without their cheque books"と首脳宣言の新型コロナ対策と温暖化対策に辛辣だったし、ジョンソン首相も終了後の記者会見で、二酸化炭素削減問題に関して拘束力のある合意やタイムテーブルが無いことを追及され「義務を果たし終えたふりをするつもりはない」”not pretend our work is done“と正直だった。

確かに煮え切らなかった点は幾つもある。満点に至らなかったことは間違いない。国際協調と言うのはそもそも妥協の産物だから仕方ないのかもしれない。

しかし、対中国でG7が結束を示せたのは何よりも大きい。

付け加えれば、G7首脳のすぐ横にはオーストラリアや韓国なども並んだ。これも無視できない。

アメリカの国際社会への復帰とリーダーシップ復活の証とも評価できる今回の首脳会談・宣言は全体としては十分合格点に達している。そう評価すべきと思われる。

ただし、民主主義と市場経済が21世紀も有効であることを実証するためにも、肝心なのは、宣言で記された数々の対策をG7各国が、今後、協調してどこまで実行できるかになる。

この意味で、最大の懸念材料となるのがアメリカの内政事情であることは皮肉極まりない。大統領が“誰かさん”或いは“誰かさんのような人”に戻ればG7の協調路線は台無しになる。今回の首脳宣言が十分に煮え切らなかったように見えるのも、この懸念故と言う面は否めない。

しかし、それでも、鍵は今回の首脳宣言を掛け声倒れに終わらせないこと。それに尽きると思う。

【執筆:フジテレビ 解説委員 二関吉郎】

二関吉郎
二関吉郎

生涯“一記者"がモットー
フジテレビ報道局解説委員。1989年ロンドン特派員としてベルリンの壁崩壊・湾岸戦争・ソビエト崩壊・中東和平合意等を取材。1999年ワシントン支局長として911テロ、アフガン戦争・イラク戦争に遭遇し取材にあたった。その後、フジテレビ報道局外信部長・社会部長などを歴任。東日本大震災では、取材部門を指揮した。 ヨーロッパ統括担当局長を経て現職。