広島・江田島市が作製した写真集が予想を上回る反響を呼んでいる。
かつて江田島でみられた日常風景や島の歴史が詰まったこの写真集に込められた思いとは。

市民から寄せられた写真で写真集を作製

2021年5月、ある写真集が完成した。「江田島市古写真集」。
掲載されているのは、どれも昭和期までの江田島での日常風景。

市民から寄せたれた写真
市民から寄せたれた写真
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江田島市が作製したこの写真集。
収められている約250枚の写真は、ほとんどが市民などから寄せられたもの。
そのうちの1枚が「江田島八幡神社前の羊と親子」。1955年ごろに江田島町で撮影された。
この写真に収まっている親子が、現在も近くに住んでいると聞いて、写真を撮影した場所に来ていただいた。
戸津崎郁子さん(90)。息子の辰雄さん(69)。

左:戸津崎郁子さん 右:息子の戸津崎辰雄さん
左:戸津崎郁子さん 右:息子の戸津崎辰雄さん

戸津崎郁子さん:
私が24歳

戸津崎辰雄さん:
私が3歳

ーー記憶はありますか?

戸津崎辰雄さん:
(記憶は)全くないです。家では羊とかヤギとか鶏、こういった家畜を飼っていたというのは、うっすら記憶がある

当時、飼っていた羊が共進会で入賞。
それを記念して、地元の新聞社から羊の写真を撮りたいと言われ、近所のこの場所で撮影したという。
写真集の中には、他にも1950年代に羊やヤギが写った写真がたくさんある。
戦後の江田島では、羊やヤギが多く飼われ、島の人は生活の一助にしていた。

戸津崎郁子さん:
当時、着る物、生地がなかったから、(羊の)毛を刈って。子供が着ている前掛けとか、私のカーディガンとか全部つくった

そして、2人の後ろの建物には、ビアホールなどの英語の看板が並ぶ。

戸津崎辰雄さん:
英(イギリス)連邦軍。おそらくオーストラリア兵が多かったんじゃないか

写真からは当時占領下だった様子が…

戦後、アメリカ軍などの占領下となった旧海軍兵学校周辺では、英語の看板が目立ったという。

戸津崎辰雄さん:
結構こういった飲み屋があった

戸津崎郁子さん:
術科学校の前とか、ずらっと。たくさん外国人が飲みに出る。休みの日に。(地元の)女の人がたくさん来てね。(外国人が)珍しかった、あの頃は

街には英語の看板が確認できる
街には英語の看板が確認できる

旧海軍兵学校、現在の海上自衛隊第1術科学校の前で、戦前から店を構えてきた島崎理容院。
3代目の店主、隆明さんに当時のことを聞いた。

ーー当時メインストリートだったということだが、だいぶ変わりました?

3代目店主・島崎隆明さん(71):
小さな店はなくなって、すごく人通りも少ないし

ーー小さい頃の思い出は?

3代目店主・島崎隆明さん(71):
今の支所が小学校で、ものすごく子供がいた。(全校で)600人くらいいたんじゃないですか

「秋の大運動会」(1959年)
「秋の大運動会」(1959年)

ーー今では考えられない?

3代目店主・島崎隆明さん(71):
ええ

人口が半分程に減少「後世に残していくために」

今回、市が古写真集を作製した背景には、人口減少への危機感がある。
江田島市の人口は、1955年(昭和30年)をピークに減り続けている。
現在は、ピーク時の半分以下、2万2,000人余りにまで減少した。

江田島市教育委員会・蒲生光記主事:
歴史的な資料が、後世に引き継がれるということを懸念していた。写真として、それを後世に残して活用していくために、今回、古写真集を作製

市の教育委員会は、2017年から郷土資料に役立てたいとして、昔の写真を市民に募集。
その結果、1950年代の江田島が最も賑やかだった頃の写真を中心に、1,000枚以上が寄せられた。

江田島町宮ノ原の自衛隊施設の周辺。かつて、この場所には競馬場があった。
多くの観客で賑わっていたという。島にとって数少ない娯楽の1つだった。
娯楽といえば、術科学校の正面にあるこの地には、かつて映画館「江劇」があった。
ここで映画を見たという市民は少なくない。

映画館「江劇」を写した写真
映画館「江劇」を写した写真

3代目店主・島崎隆明さん(71):
一番初めの「ゴジラ」を観た

宇根川進さん(69):
私たち住民で有名なのは、大映の「あゝ江田島」という映画が封切られた時に、ここへ皆さん(来ていた)

能美町にも劇場「旭座」があった。
子供たちが見ている看板には、「映画2本立て20円」と書かれている。

大衆娯楽として映画館や劇場はにぎわっていたが、テレビの普及とともに観客は少なくなっていったという。

文化は発展したが町は過疎化…直面する課題

こちらは沖美町の「がんね海水浴場」。
1951年に開かれ、県内でも有数の海水浴場として、当時は宇品港から大勢の海水浴客を乗せた船が運航していた。

沖美町の「がんね海水浴場」
沖美町の「がんね海水浴場」

しかし、台風による被害などを受け、1992年に閉鎖。
まだ舗装されていない砂利道を、自転車を押しながら歩く少年たち。
後ろには段々畑が広がる。
かつては島のあちこちで見られた段々畑も、いつしか消えていった。

文化の発展とともに、暮らしはどんどん便利になった。
一方で、島の過疎化は進むばかり。

江田島市教育委員会・蒲生光記主事:
今回作製した古写真集を通して、もう一度、江田島市を昔から現在に至るまでを思い返して、少しでも足を運ぶきっかけになれば

島の歴史を伝える写真集。
当時を知る人が減っていく中、記憶と記録をどう紡いでいくか。今、島が直面する課題だ。

(テレビ新広島)

テレビ新広島
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