2016年、リオオリンピックの競泳・400メートル個人メドレーで日本人初の金メダルを獲得した萩野公介。

その無限の可能性に誰もが東京オリンピックでの連覇を信じで疑わなかった。しかし、萩野には想像さえしなかった葛藤の日々があったという。

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萩野が歩んできた壮絶な5年間と、その中で見出した「自分の弱さを認める」「何が何でも東京オリンピック」という2つのビジョンに、フジテレビ東京五輪キャスターの宮里藍が迫った。

自分への過度な期待で押しつぶされそうに

宮里が休養したきっかけについて聞くと、萩野は「心が元気じゃないというか、心と体の不一致みたいなものがあった」と答えた。

2016年9月、リオオリンピック後に痛めていた右肘ひじを手術した萩野は、それをきっかけに本来の泳ぎが崩れていったという。

2019年2月に行われた大会でも、自身の日本記録を17秒も下回る結果に。萩野は当時、失意のどん底にいたと振り返る。

「泳ぎながら『いや、こんなはずじゃない』なんてことを思ったり、『何でこんなタイムしか出ないんだろう』と凄く自分を責めたりしていて。

自分の気持ちのあまり見たくないようなところに蓋をして、『まだ先があるから頑張ろう』と1日1日を進んでいて。気づいたときには、蓋をしていたものがものすごく大きくなっていて、無視できないくらい大きくなってしまっていた」

宮里が「金メダリストとしての重圧を感じていたのか」と聞くと、萩野は素直な想いを明かした。

「そうですね。(リオが)終わった後、“もっとできるだろう”と過度な期待も物凄かったし、その過度な自分の期待に応えられるような結果を、“周りの人はこう望んでいる”と僕は思っていた。

そうじゃないと萩野公介という人間を他の人から応援してもらえない、みたいな。“今の自分って自分じゃないんじゃないの?”みたいなところとか、自分に対して否定的な考えになってしまっていた」

金メダリストとして感じていた計り知れないプレッシャーと、格好悪い姿は見せたくないという思い。

その辛さを言葉にできず、2019年3月に萩野は一時休養を発表する。

自分の弱さを認めたら楽になった

休養発表後の萩野の姿はドイツにあった。

プレッシャーから解放され、「東京オリンピック1年前…ポテトを食う!」などと、どこか吹っ切れた様子で旅行を楽しんでいた。

この心の余裕は旅行中に生まれたものではなく、恩師・平井伯昌コーチへ伝えたある言葉がきっかけだと萩野は話す。

「平井先生に電話したときに、『今、水泳が嫌いかもしれないです』と伝えたんですけど、その“水泳が嫌い”ということを自分が話すことによって初めて自覚して。『あ、僕水泳が嫌いなんだ』ってハッと思った部分があった」

自分の気持ちを言葉にすることで、本当の自分を知ることができたのだ。

それを聞いた宮里は「弱いところを認めるのはすごく難しいけど、それができると楽になれる」と共感を示す。

萩野も「自分の口から状況を話すことによって、相手の方も“そうだったんだ”と思ってくださり、『私たちは金メダリストの萩野公介を応援しているのではなく、チャレンジする萩野公介を応援しています』と言っていただいて。

僕が言わなかったら、そう思ってくれている方々の言葉も聞けなかったと思った。生きていくのが楽になった。泳ぐのもいつもより気楽だし、生きていくのもいつもより気楽だし、これで良かったんだなって。数年前の自分がいたら『ちょっと気楽に生きていいんじゃないの』って声を掛けてあげたいくらい」と当時を振り返った。

苦しい時こそ、自分の弱さを認める。金メダリストとしての鎧を脱ぎ去り、自分の本心と向き合う重要性に気付いたという萩野。

「別に格好悪い姿でもタイムが遅かろうと、それでもそれが今の萩野公介だから。プライドも捨てて、もう全部捨ててでも、『やっぱり、もう1回オリンピックに出場したい』という気持ちが出てきて、そっちの方が上だった」

こうして3ヵ月の休養を経た萩野は、2019年6月に復帰会見を行い勝負の舞台へと戻ってきた。

プライドを捨ててでも五輪に出たい

2021年3月、東京オリンピック代表をかけた日本選手権の直前に、萩野は大きな決断を下した。

「400メートルの個人メドレーは僕にとってすごく大事な種目ですが、そういうプライドも捨てて、もう全部捨ててでも東京オリンピックに何がなんでも、何としても、やっぱり出場したいという気持ちがすごく強かった」

萩野は、自身がよりオリンピックに近いと感じている200メートル個人メドレーに専念し、自らの代名詞である400メートル個人メドレーを断念した。

プライドをかなぐり捨ててまでもこだわった東京オリンピック。その切符をかけた2021年4月の日本選手権で「いろいろ失敗があった」と明かす。

「最初の浮き上がりがひどかった。最初の浮き上がりの一掻き目が、本来は水しぶきを立てずに水の中で掻いていきたいんですけど、水面よりも上の方で掻き始めてしまって、初速が出なかった。最初の50メートルは『やっちゃった、やっちゃった』と思いながら泳いでいた」

それでも、萩野は「いつもだったら『バタフライ大丈夫かな』と心配しながら泳いでいる部分はあるんですけど、『バタフライ悪くても、背泳ぎと平泳ぎあるし』みたいなことは考えながら泳いでいた」とミスに動じることなく、最後まで戦えたという。

日本選手権で萩野は1分57秒43で2位となり、日本水泳連盟が定めた五輪派遣標準記録という代表内定条件を満たし、200メートル個人メドレーで出場権を勝ち取った。

リオオリンピックから5年、弱い自分を受け入れたことでつかんだ夢舞台への切符。

大会後、萩野は「今はこれが萩野公介だということで、背伸びしないで、これが自分の実力だと思って泳いでいるので悔いはないです」と話していた。

金メダリストではなく、等身大の萩野公介で東京オリンピックに挑む萩野。

その目標は“メダル”よりも恩返しだ。

「決勝の舞台に立って良い勝負をしたいと思いますし、応援してくださる方すべてに対して、恩返しの気持ちでオリンピックは泳ぎたいと思っています」

東京オリンピックでは200メートル個人メドレーに加えて、男子800メートルリレーにも出場予定の萩野。苦しみながらも五輪の切符をつかんだ萩野の活躍に期待したい。