2020年4月に見つかった1枚のビザ。第二次世界大戦中、ユダヤ難民の国外脱出を助けた宮崎市佐土原町出身の外交官・根井三郎の功績を物語るものだ。根井三郎について、国の内外の研究者が注目し始めている。
根井三郎が独自に発給 「命つなぐビザ」
2020年4月に発見された、ある1枚のビザに大きな注目が集まった。
根井三郎を顕彰する会 根井翼会長:
非常に驚きと、確かだったという確信と喜びを感じている
1941年2月28日付の日本通過ビザ。
行き先には、敦賀・横浜経由「アメリカ」行と記され、「ウラジオストク日本帝国総領事館 根井三郎」の署名がある。
根井三郎がユダヤ難民に対して独自に発給したビザが初めて見つかった。
ビザを発見したのは、「命のビザ」関連の著書がある東京在住のフリーライター・北出明さんだ。
杉原千畝のビザで命を救われた人の足跡を調査する中で、このビザを受け取ったポーランド出身の家族の子孫にめぐり合った。
フリーライター・北出明さん:
これが、根井三郎が出したと言われるビザか。大変な驚きでしたよ
ビザの発給が却下された通知の裏面に
根井三郎については、時の政府の命令に異を唱え、杉原千畝のビザを持つ難民たちを日本行きの船に乗せていたことがわかっているほか、根井が「自らビザを発給していた」と述べたという旧ソ連の会談記録が、数年前に見つかっている。
ナチス・ドイツの脅威が背後に迫る中、国外への脱出を急ぐユダヤ難民たち。
フリーライター・北出明さん:
杉原さんは、ギリギリまで粘って領事業務(ビザ発給)をして、リトアニアを出国したのが9月初め。(今回のビザの持ち主である)シモン・コレンタイエルは、おそらく間に合わなかった
今回見つかったビザは、モスクワのアメリカ大使館から移民ビザの発給を却下された通知の裏に書かれており、国外脱出が危ぶまれた一家の切迫した状況がうかがえる。
フリーライター・北出明さん:
アメリカ大使館の拒否の文書を受けて、おそらく途方に暮れたと思う。だけど、とにかく逃げなければならないということで、モスクワからシベリア鉄道に乗って、とにかくウラジオストクに行った。そして、根井さんの総領事館に駆け込んだ(のではないか)
子孫が家の片づけ中に偶然発見
その後、一家は無事、日本に入国することができた。
一家は1947年にアメリカへ。ビザは、子孫が家の片づけをする中で偶然発見された。
フリーライター・北出明さん:
(ビザを見つけた)キムは自分の母、祖父母は、てっきり「杉原ビザ」で来られたと思っていた
フリーライター・北出明さん:
“杉原リスト”をくまなく調べたけど、(親族の名前が)なかった。どうして私の母や祖父母は日本に来られたんだろうという疑問を持っていた。それは、根井さんが出したあのビザで、あなたの家族は日本に上陸できたのではないかと言いました。それは感激していましたよ
1枚のビザがつないだ命。このビザには、「第21号」と書かれており、根井三郎のビザで救われた人たちは、他にもいたことが推測される。
約80年の時を経て見つかった1枚のビザは、歴史の陰に埋もれていた根井三郎の確かな功績を物語っている。
根井三郎については、ここ数年になって史料が少しずつ見つかり、国の内外の研究者が注目し始めている。
(テレビ宮崎)