ゴルフの松山英樹選手(29)が、日本の男子選手が誰も成し遂げられなかった歴史的な快挙を達成した。
壁破った!日本勢85年の悲願
選ばれしゴルファーだけが立つことを許される海外4大トーナメントの一つ「マスターズ」。
85年間、数多の日本人選手が挑戦し、はねのけられてきた大舞台だ。
松山選手は、8番パー5ではピンに寄せる鮮やかなアプローチでバーディーを奪うと、9番パー4のセカンドショットでは、ボールを操るかのようなスーパーショットで連続バーディー。
そして、トップを守り切ってたどり着いた最終18番ホール。
オーガスタの夕日を背に、ギャラリーが待つグリーンへと向かう松山選手。そして歓喜の瞬間が訪れる。
日本人の悲願、マスターズ初優勝。
ギャラリーの大歓声の中、チャンピオンの証しであり、栄光のグリーンジャケットに初めて袖を通し、優勝の喜びを語った。
松山英樹選手(29):
やっと日本人でもできるということがわかったと思うので、僕もまだまだ頑張るので、(子どもたちにも)メジャーを目指して頑張ってもらいたいなと思ってます。
宮里藍さん「歴史的瞬間」
自身も海外でプレーしてきた宮里藍さんは、松山選手の快挙に喜びを隠せない。
元女子世界ランキング1位 宮里藍さん:
今回このマスターズで勝てたということが本当にどれだけすごいことか、歴史的瞬間に立ち会えたこと、また日本人がマスターズで勝てる日が来るなんていう、本当にうれしい一日になりました
宮里さんが注目したのが10度目の挑戦となった松山選手の経験だった。
元女子世界ランキング1位 宮里藍さん:
一流の選手がフラストレーションを抱えるゴルフ場なので、やはりそれだけ難しいということがひとつ言えるんですけれども、10年かかってのデータの蓄積があるわけですよね。
自分の中でうまく自分のゴルフが整理できていたのではないかなと思います
10年前がターニングポイント
29歳の歴史的快挙。ターニングポイントとなったのは10年前の出来事だった。
松山選手が中学2年から5年間過ごした高知・明徳義塾高校では朝6時30分からゴルフ部が先輩をテレビで応援。優勝が決まると横断幕を掲げた。

大学時代の恩師、東北福祉大学ゴルフ部の阿部靖彦監督は表彰式の後本人から直接電話があったことを明かした。
東北福祉大学ゴルフ部 阿部靖彦監督:
言葉はなかったです。
ただ「英樹、おう」と言って、「監督」っていってそれで終わりました。(目元を拭う)

松山選手は2011年、日本のアマチュアゴルファーとして初めてマスターズの出場権を獲得。当時、大学1年生の19歳だった。
大舞台への初出場を3カ月後に控え、当時マスターズについてこう語っていた。
松山英樹選手:(2011年・当時18歳)
あこがれの大会ですね。
一番最初にタイガー・ウッズが優勝した1997年の試合を見て、すごいなという感覚があったので。やっぱりすごい憧れてましたね、マスターズという舞台は
しかし、憧れの大会を前にした3月11日、東日本大震災が発生。出場すべきか否か迷った末、多くの励ましの言葉を受け参戦することを決意。アマチュア選手の中で最高の成績を収めた。
東北福祉大学ゴルフ部 阿部靖彦監督:
やっぱり未だに仙台に住民票を置いて、仙台の人間だと、あの東日本の震災の時の皆さんから応援してもらったことは一つたりとも忘れてません。それが松山英樹です。僕はうれしく思います

松山選手は優勝後の会見でこう語っていた。
松山英樹選手(29):
10年前ここに来た時に、来させてもらって自分が変わることができたと思ってるんで、その時背中を押してくれた人たちにまたいい報告ができたのはよかったなと思っています
元女子世界ランキング1位 宮里藍さん:
やっぱり彼のターニングポイントになった2011年だったと思うので、それから10年はかかりましたけど、でも逆に言えば10年でここまで成長できた、世界のトップに入る選手に成長できたっというのはものすごいスピードで成長していると思いますし、また今後も彼の一つのモチベーションになり続けていくというふうに思います
「イット!」4月12日放送