2011年、津波で被災した、宮城県仙台市若林区の荒浜小学校。当時、この屋上に避難して無事だった、ひとりの女の子が、2021年4月、宮城県内で小学校の先生になる。「震災を自分が伝える意味がある」と彼女は話す。

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母校は今、「震災遺構」

担任:
渚先生が来てます。よろしくお願いします

佐藤渚さん(22)。仙台市若林区の七郷小学校で算数の授業中、児童をサポートする学習支援員を務めている。
大学4年生の渚さん。2020年、宮城県の教員採用試験に合格し、2021年4月、小学校の先生になる。

寺田早輪子アナウンサー:
小学校の頃は?

佐藤渚さん(22):
男の子と間違われるくらいボーイッシュだった

小学5年生の時の渚さん。これは、2009年に荒浜で行われた、小学生が防火を呼びかけるパレードの様子。荒浜小学校の恒例行事だった。

渚さんが2011年3月11日まで通った、仙台市立荒浜小学校。母校は、今、震災遺構となっている。

佐藤渚さん(22):
保健室がそこだったので、グラウンドでけがをしたら、そこの入り口で、「先生、ケガしました!」と言った思い出があります。鬼ごっことかでけがして。ここの教室も、低学年の時に使っていました。まさかこうなるとは思っていなかったので、ちゃんと覚えておけばよかったと、今になって思う…

震災発生当時、渚さんは6年生。図書室の掃除中に、大きな地震に襲われた。

佐藤渚さん(22):
先生に「机の下にもぐって!」と言われた。そしたら、もぐった机に本棚が倒れてきた。先生がいなかったら、どうなっていたのかなと思います

揺れが収まったあと、教室へ移動し、校舎1階の昇降口まで来た時…。

佐藤渚さん(22):
外から、消防団の人に「上にあがれ!」と大きい声で言われて、すごく鬼気迫った感じで言われて、必死で上りました。階段から下をみたら、茶色い水がバーッと来ていて「津波が来る」という頭がなくて、分からなくて、『何でこうなるの?』と

荒浜地区を襲った津波。荒浜小学校は2階まで浸水。渚さんは避難した屋上で津波を見ていた。

佐藤渚さん(22):
同級生といた。二人でボロボロ泣いていました。家の屋根や家具が、そのまま流れているのも見て、もう駄目だ…自分の家も海に近いので、もう絶対に駄目だとは思った

校舎で一晩、寒さに耐えた渚さん。翌朝、ヘリコプターで救助された。

先生になって“震災を伝える”

大学に進学した渚さんは「学校の先生」を目指して、学んできた。寄り添ってくれた荒浜小学校の先生たちのようになりたいと思っている。

佐藤渚さん(22):
私たちを安心させてくれるような声がけをしてくれて。「何が起きているのか」という感じだったが、私たちを一カ所にまとめて安心させてくれた記憶があります。それをお手本に、そんな先生になりたい

渚さんが学習支援員をしている七郷小学校には、震災発生時、荒浜小学校に勤めていた先生がいる。

震災発生当時 荒浜小に勤務 大内恵美 先生
この避難訓練も、本当に、この通りになったね。防災頭巾をかぶって…

大内恵美先生は、震災の時、荒浜小学校の屋上に児童たちと避難した一人。

震災発生当時 荒浜小に勤務 大内恵美 先生
震災当時、小学生だった人が、自分の感じたことを、自分の言葉で子供たちに伝えるところに大きな意味があるんじゃないかと思っています

防災学習で、荒浜について学ぶ七郷小学校では、2020年、渚さんのメッセージをビデオ撮影した。

佐藤渚さん(撮影 七郷小 2020年10月):
「荒浜」と聞くと、どうしても震災の被害にあった悲しい街だったり、少しマイナスのイメージがあると思うんですけど、実際はそんなことは全然なくて、温かい街だし、人のつながりが強い地域だってことを知ってほしいと思います

佐藤渚さん(22):
私に質問に来てくれたり、「荒浜小学校にいたんだよね?」と、子供たちに言われたりして。「こんなに興味を持ってくれるのだ」と思って、自分が伝える意味はあると思った。この経験をリアルに伝えることができる人は、そんなに多くないと思うので、しっかりと子供たちに伝えていきたい

(仙台放送)