偶然訪れた“震災直後の写真”の展示会場

大津波に襲われ多くの人々が犠牲となった宮城県・南三陸町。

ここに「復興の象徴」とも呼ばれている「さんさん商店街」がある。「サンサンと輝く太陽のように、笑顔とパワーに満ちた南三陸の商店街にしたい」という思いから、震災後に仮設商店街としてスタート。今では多くの人たちで賑わっている。

この場所で「南三陸の記憶」の常設写真展示館を開いているのが、佐良スタジオの佐藤信一さんだ。

展示館にはこれまで南三陸で撮影された数々の写真が展示されている。

その中にある1枚の写真。撮影された時間は2011年3月11日午後3時47分。南三陸町の防災庁舎が大津波に飲み込まれた直後に撮影されたものだ。

2021年3月、取材に訪れた南三陸町で偶然その写真館に立ち寄った私たちは、展示されていたこの写真に衝撃を受けた。

南三陸町の防災庁舎が大津波に飲み込まれた直後に撮影された一枚(撮影:佐藤信一)
南三陸町の防災庁舎が大津波に飲み込まれた直後に撮影された一枚(撮影:佐藤信一)
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高さ12メートルの南三陸町の防災庁舎には多くの人が避難をしていたが、想定を大きく上回る15メートルを超える津波が押し寄せ43人が犠牲となった。この写真にも、屋上に逃げ津波にのみ込まれながらも生き残った人たちが写しだされている。

この写真を撮影した佐藤さんは、当時のことをこう振り返る。

「普段の生活習慣の一つだったので自然とカメラバックを手にして自宅から避難しました。仕事柄、何かあったらカメラで撮影するという癖があった」

しかしこの後、佐藤さん自身が「想定外だった」と語るほどの大津波が町を襲うことになる。

佐藤さんは手に持ったカメラで撮影すべきなのか葛藤があったという。

「撮影するべきか葛藤があった」と語る佐藤信一さん
「撮影するべきか葛藤があった」と語る佐藤信一さん

「怖かったですね。怖いです。地獄ですもん。現実を超えた現実が目の前に起きているわけじゃないですか。これは撮らないといけないという気持ちはあったんですけど、その中に、こういう状況で写真を撮っていいものなのかとまず心が動きました。非難をあびても仕方のない状況だし。でも、やはりなんで撮ったのかというとやっぱり残さないといけないと、ただ目の前で起きたことをこれから先撮るには自分の心を殺さないといけないと思ったんですね」

あの日、南三陸の町で起きたことを「地獄。誰もが想像できない状況だった」と語る佐藤さん。今何が起きているのか。情報も限られていた。しかし目前に写しだされる「現実を超えた現実」。南三陸だけではない。全国でも同じようなことが起きているかもしれない。佐藤さんは撮影をする決断に至ったことをこう話す。

「もしかしたらカメラで記録に収められるは自分しかいないのではないか。写真に携わっている人でもカメラを持たずに逃げている人もいるかもしれない。当時はまだ、スマホも普及していないし、ガラケーがほとんど。カメラの性能はそんなでもないし。そんな中で自分はちゃんとした一眼レフを持って構えて、じゃあ何のためにカメラを持ってきたんだっていう自問自答ですよね。撮るためじゃないのかと」

写真家の苦悩「何のためにカメラを持ってきたんだ」

一方で、冒頭の防災庁舎の写真を撮影する際には、特別に辛い思いもあったという。

「防災庁舎の前、壊された建物がバキバキと折れて庁舎を囲むわけですよね。そこにいた方に逃げ場は全くないわけですよ。その現実でカメラを向けるという行為、それは心が震えますよね。大変いけないことをしている。防災庁舎にはほとんど知っている方がいっぱいいらっしゃったので。中には私の同級生も庁舎の中にいたはずなので。もしかしたら、あいついるんじゃないかと探し求めていたというか。どうしても防災庁舎のほうにカメラを向けてしまったんです。この写真は心を込めて撮れる写真ではない。だから自分を殺して、感情を殺して撮らないといけないなと」

当時のことを思い出してか目を潤ませながらもその時の心情を私たちに語ってくれた佐藤さん。

「怖かった。だからずっとカメラ越しにレンズ越しに撮っていた。目が痛くなるくらい。もし肉眼で見たら、現実として受け入れて手が震えて撮れなくなる。フィルターを通してみることで、客観的に第三者的な立場で自分の心の身を置いて撮らないと、とても撮れる写真ではない」

全ての人たちの思い出が無くなってしまったあの瞬間、佐藤さんは苦しみを抱えつつ、「これは絶対に残さないといけない。これは私の仕事なんだ」と何度も自分に言い聞かせたという。

あの日の記録を「未来へつなぐ」

佐藤さんはこの記録を一般に公開し展示している。亡くなった遺族の方への思いや、自らの辛い経験を思い起こすことにもつながる写真たち。それでも、展示館を訪れる人たちにどうしても伝えたい思いがあったという。

「他の町、人の町、遠くの町、聞いたことあるけどどこかわからない町、確か津波が起きた町。そういう気持ちで見るんじゃなくて、自分の町が破壊されたんだと思ってみてください、と言っている。絶対自分の故郷はこうなってほしくないですよね。じゃあどうしたらいいんだと。自分の故郷がこうならないために、自分の一人の力では小さいかもしれないけど、それを故郷に帰って伝えていただいて自分の町の防災意識を高めてもらえれば減災にもつながるし、自分の大切な、もちろん自分の命、自分の大切な人の命も助けられることにつながる」

「自分の町が破壊されたんだと思ってみてください」と話す佐藤信一さん
「自分の町が破壊されたんだと思ってみてください」と話す佐藤信一さん

「これらの写真は自分が亡くなっても残していきたい。どういう形でも残してもらいたい」と語った佐藤さん。

震災から10年。

私たちは、この震災の経験を未来へつなぎ、もう二度と繰り返さないためにも、何ができるのか。

そう深く感じた取材だった。

【取材:Live Newsイット!取材班 中西孝介 藤井千尋】