東日本大震災から10年、震災の記憶をどう未来に残していくべきか、イットでは「未来へ繋ぐ」、この言葉とともに震災について伝えていく。

3月10日、宮城・南三陸町で、震災を語り継ぐ1人の女性に話を聞いた。
11歳、小学5年生で被災し、それ以来活動を続けてきた女性。今は、21歳になった"小学生の語り部”…その10年を追った。

小学生の語り部だった女性

佐々木夏蓮さん(21歳)。今は、大学で町を離れている。
震災から10年を前に、地元・南三陸に戻っていた。

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震災当時、小学5年生だった佐々木さんは、その半年後「小学生の語り部」として活動をはじめた。

佐々木夏蓮さん:(2012年当時)
お父さん、お母さん、弟たちに会いたい気持ちがどんどん強くなって、すごく泣きました

父親が営む居酒屋を訪れた県外からのボランティアに、「若い世代が見た震災を知りたい」と言われたことがきっかけだった。

佐々木夏蓮さん:(2012年当時)
志津川小学校にも、実際お父さんやお母さんを亡くしちゃった子がいるんですけど、その人たちが語り部をすると、やっぱり思い出しちゃうじゃないですが、お父さんとお母さんが亡くなっちゃったんだって。
でも私はつらい経験はしたけど、家族が残っていたので、やっぱり(語り部)やっていかなければいけない、という…

「家族が無事だったからこそ、やらなければいけない」という使命感。
しかし、時が経つとともに依頼は減っていく。
被災地支援のボランティアが減少したことで、語り部の活動の場もなくなっていったのだ。

最後に語り部をしてから、5年以上。
3月10日に語り部として、改めて話を聞かせてもらった。

佐々木夏蓮さん:
ねぇお母さん、お父さんは?と聞くと、今まで大丈夫、大丈夫、と言っていたお母さんは何も言わなくなりました。
少し時間が経ってから、あのね、お父さん、今日高野会館に行ってるんだよと教えてくれました。
でもね、大丈夫、と声を震わせて話してくれました。

でも、どこかのおじいちゃんが、町の中は全滅だ。残っているのは病院だけと話しているのが聞こえてきました。
私は心の中に何か突き刺さったような感じでした。
病院だけって何?お母さんに病院と高野会館ってどっちが高いの?と何回も聞いたのを覚えています。
そのたびにお母さんは大丈夫、大丈夫、としか言いいませんでした。

加藤綾子キャスター:
当時のバラバラになってしまった家族になかなか会えない不安とか、家族の大切さとか命の繋がりとか、そういうものをすごく感じました。
やっぱり、あの時の命があるのかないのかっていう、それを目の前にした時の1日はものすごく長かっただろうなって思いますね

「震災は憎いけど…」

授業中に大きな揺れに襲われた佐々木さん。
児童は先生の誘導で校庭に避難した。校長は町の方を見させないようにするが、海の方からは、激しい音が聞こえてきたという。

佐々木さんは当時について、家が壊れる音や津波の水の音というよりは、家を倒していくような「バキバキ」という音が大きかったという。

その後、学校に避難してきた母親、弟とは会えたものの父親には会えなかった佐々木さん。
不安を抱えたまま、教室で一夜を過ごす。
「もしかしたら死んじゃってるかもしれない」「もう会えないかもしれない」という思いの中、それでも「大丈夫、生きてる」と自分に言い聞かせていた…。

佐々木さんは翌朝、父親がいるという建物を確認するため、海の近くへ様子を見に行く。
そこには、避難した屋上で手を振る人たちの姿があった。

その日の午後、遠くから近づいてくる男性がいた。
いつも父親が会社に行くときに着ているジャンパーを着ている人が…よく見ると「おっとう」だった!
思わずみんなで走って行き、喜びあったという。

父親と離れていた時間が一番怖かったという。
その後も、当たり前の暮らしが突然奪われた日々。
当時、苦しい思いを明かしていた。

ーー震災は”憎い”?

佐々木夏蓮さん:(2012年当時)
憎いですね、やっぱり。
憎いは憎いですけど、このことを受け止めながら、頑張っていけたらなと思いますね

「今度は自分が助ける立場に」

あれから町の復興は着々と進み、4年後には盛り土がされ、跡地すら見えなくなっていた。
町はすっかり変わり、佐々木さんも大学3年生になった。
10年が経ち、語り部としての場が少なくなったいま、どう感じているのか。

加藤綾子キャスター:
震災当時、震災について憎いって言っていたけど、10年経った今は震災はどういうものですか?

佐々木夏蓮さん:
1つ1つのことを乗り越えていくうちに、自分自身が強くいくのも自分で実感する部分もあって、乗り越えたからこそ今があるから、自分は幸い家族が全員無事だったこともあったので、言葉は難しいですけど、今乗り越えてこうして生活できて良かったなとは思います

春から大学4年生になる佐々木さん、将来について聞いてみると…

加藤綾子キャスター:
これから夏蓮さん自身、どうなっていきたいという夢はありますか?

佐々木夏蓮さん:
夢は先生か消防官か…まだ絞れていないけれど、どっちかになれたらいいなって思っています

一つ目の夢は体育の先生。

佐々木夏蓮さん:
自分が出会ってきた先生がみんなかっこいい先生だったので、そういう存在になりたいなって。
担任のクラスをもって、みんなで頑張りたいではないですけど、こういう(震災の)経験を生かして先生をしたいなと思います

加藤綾子キャスター:
消防官になりたいのはなぜ?

佐々木夏蓮さん:
自分も震災を経験できたからこそ、子どもたちに寄り添える力だったりを生かして、いつどこでまた震災が起こるかわからないし、今度は自分が助ける立場になれたらいいなって思って

幼かった少女の心に刻まれた記憶と経験は、震災を知らない未来の子どもたちへと受け継がれようろしている。

(「イット!」3月10日放送より)