シリーズ東日本大震災。今回は津波で大きな被害を受けた、宮城・東松島市野蒜で営業を続ける食堂「えんまん亭」。
豪華なラーメンで有名な、この店を守り続ける家族の10年と、その思いを聞いた。

津波で自宅を兼ねた店は流失 家族の命の危険も…

テーブルに運ばれてきたのは、その名も「海の幸ラーメン」。大きなホタテにズワイガニ、エビに、アサリに、さらには毛ガニがまるごと1杯…、麺は、ほとんど見えない。

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東日本大震災による津波で大きな被害を受けた東松島市野蒜の東名運河の近くに、その店はある。野蒜の土地で40年以上営業を続けている食堂「えんまん亭」。
店を切り盛りするのは店主の遠藤惣之助さんと、妻のキヨさん。そして、2代目として中心となって働く長男の満さん。

えんまん亭2代目 遠藤満さん:
海のものもおいしいし、山のものも手に入るし、いい所なので料理していても最高ですよ

震災前、えんまん亭は野蒜海岸の近くにあった。昼は観光客、夜は地元の宴会客でにぎわった。しかし、10年前の津波で自宅を兼ねた店は流失。遠藤さん親子も2台の車に分かれて避難する途中、津波にのまれ、東名運河に流された。

えんまん亭店主 遠藤惣之助さん:
津波に流されて、口元まで潮水が来て、「だめかな」と思いながら流されていった

えんまん亭2代目 遠藤満さん:
俺、死ぬんだって思いながらハンドルから手を離そうと思っても、ハンドルから手が離れなかった。それでも無理やり離して

別々に流された2台の車は、偶然にも窓ガラスが割れ、3人はかろうじて脱出することができた。

えんまん亭2代目 遠藤満さん:
否が応でも、生かされたのだろう

海の幸ラーメンがSNSで話題に

震災から2カ月後。市が仮設商店街への入居者募集を開始した。国が建物を用意して事業者に無償で貸し出す、期間限定の取り組み。説明会には、えんまん亭から満さんが参加した。

震災から約7カ月。その仮設商店街が野蒜から少し離れた東松島市矢本地区にオープンした。食料品店や鮮魚店などと並んで、えんまん亭も、のれんを出した。

取材班(2011年10月):
ようやく再建ですね

えんまん亭店主 遠藤惣之助さん(2011年10月):
ありがとうございます。待ちに待ったね。へい、お待ち!

記念すべき最初の一品は、もちろんこちら、海の幸ラーメン。

客:
すごい!なんだこれ!カニが1匹いる。初めて見た

えんまん亭2代目 遠藤満さん:
あの当時はボランティアが多かったので、ネットで「こういうラーメンあるよ」って、「すごいじゃん。カニが泳いでるじゃん」って、SNSとかフェイスブックなどで流れて、そこからですよね。とんでもない火がついたのは

東日本震災から3年後、野蒜へ戻る

地元産にこだわったカキラーメンやアサリラーメンも好評で、えんまん亭の再起は順調に進んだ。

そして、震災から3年後。遠藤さんたちは家賃無料の仮設店舗を引き払い、民間の空き店舗に移った。それが現在の場所、長年住み慣れた野蒜。

えんまん亭2代目 遠藤満さん:
もともといた所なんだし、亡くなった人もいっぱいいるけども、亡くなっている人たちも、もともと地元の人だし、「大丈夫、大丈夫」って、「みんな守ってくれるから」って言いながら

家賃を負担してでも野蒜に戻りたい。野蒜への強い思いが、遠藤さん親子3人の背中を押した。

えんまん亭店主 遠藤惣之助さん:
客に助けられた感じかな

えんまん亭 遠藤キヨさん:
本当にもう感謝ばかりです

震災から10年となる2021年。待望の自分たちの店を建てることになった。場所はいまの店から数百メートルの距離。あの日、3人が津波で流された東名運河の近く。

えんまん亭2代目 遠藤満さん:
たまたま、うちらは全員生き残ったので、たぶん生かされているんだろうって。いろいろ借金をしながら前に進むしかないです。こうやって見ても何もないですものね。本当に何もないところで、何もなくたって、俺らはやってるよ、なぜかはわからないけど野蒜にはこだわってますね

震災から10年、家族が営む食堂は、このまちに小さな明かりを灯し続ける。

(仙台放送)

仙台放送
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