シリーズ、東日本大震災「それぞれの10年」。今回は宮城・気仙沼市で住民に避難を呼びかけている途中で津波にのまれ、殉職した警察官・千田浩二さん。
千田さんの思いを伝える地蔵と、その地蔵を守り続ける夫婦の「震災10年」。

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津波で殉職した警察官の思いを伝える地蔵

宮城・気仙沼市本吉町。大谷海岸から500メートルほど離れた小学校の近くに、1体のお地蔵さんがある。

震災で、宮城県内では14人の警察官が津波に巻き込まれ、亡くなった。

宮城県警 竹内直人 本部長(当時):
かけがえのない、あなた方を突然失うこととなったご遺族のご心痛を思う時、胸が張り裂けんばかりの悔しさが込み上げてきます

14人の警察官は、最期まで住民の避難誘導に当たっていた。
その中の一人、千田浩二さん。気仙沼警察署大谷駐在所に勤務していた。

子供たちが手を合わせる小さな地蔵。千田さんの思いを形に残そうと、震災の翌年、建てられた。地蔵を建てたのは、千田さんと親交があった鈴木治雄さんと美和子さん夫妻。

鈴木治雄さん:
「小さいのでいいの」って言ったの。土台も立派なものを持ってきてくれたんだけど、立派なのはだめ。「自然とここにいる」っていう感じにしたかった

震災から10年間 地蔵を守り続ける夫婦

鈴木さんたちは、地蔵の手入れを欠かさない。春には周りを花いっぱいで囲み、新型コロナウイルスを鬼に見立て、退散の思いを込めた手作りの衣装も着せた。

鈴木治雄さん:
衣装を変えたら、子供たちが礼をして手を合わせる時間が長くなった

2010年に地区で開かれたまつりで、千田さんは余興で刑事に扮した。地域のみんなに愛された警察官だった。

鈴木美和子さん:
穏やかな、温厚な、楽しい人だった

鈴木治雄さん:
地域にいたら思い切り、みんなと一緒に過ごしたい、楽しみたいという思いがあったと思う

千田さんは地震が発生した後、気仙沼警察署からすぐに大谷地区に駆け付け、海岸近くをパトカーで回りながら、高台への避難を呼びかけ続けた。
同じく避難誘導をしていた大谷地区の消防団員の村田洋さん。千田さんから消防団員もすぐ避難するよう声をかけられたことをはっきり覚えている。

村田洋さん:
千田さんが、こっちの方向から降りてきて、「確実に津波が来るので、私は左側(海岸方向)に行きます。村田さんたちは右側(陸側)で待機してください」と言われた。午後3時5分ぐらいだった。第1波が来る前のちょっとした時間だった

普段は穏やかでやさしい千田さんも、この時は険しい表情で怒鳴るように避難を呼びかけていたと言う。

村田洋さん:
「とにかく避難してください、状況をみて避難してください」と言っていました。最後の最後まで

千田さんの遺体は、現在  地蔵のある場所の向かい側で見つかった。

村田洋さん:
逆方向(海岸側)に行ったら、自分も千田さんと同じようにようになったと、この10年ずっと思っていました。生かされた命を無駄にできないと思って、生きています

お地蔵様が伝える津波の教訓

毎朝、小学校の前で子供たちの交通誘導をしている鈴木さん夫妻。地蔵を通じて、「大きな地震が起きたらすぐ逃げる」、「逃げることが命を守る」と千田さんの思いを伝えてきた。

鈴木美和子さん:
もの言わぬお地蔵様だけど、そのお地蔵様が語り部として伝える言葉は大きいと思います

震災後に生まれた、津波を知らない子供たちにも、もの言わぬ地蔵の思いは伝わっている。

小学2年生:
警察官のお地蔵さん。きょうも、事故にあわないで暮らせますようにとお願いしました

小学3年生:
大谷の人たちを守ってくれて、自分が犠牲になって…あそこに立っている

震災から10年。鈴木さんたちは、きょうも地蔵に祈る。

鈴木治雄さん:
「永遠の千田さん」ということで。俺たちはお地蔵さんになれないから、千田さんのほうが俺たちよりもずっと長生きする

千田さんは、これからも地域を見守り続ける。

(仙台放送)

仙台放送
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