2017年に区画整理が完了 しかし、目立つ空き地...

東日本大震災の被災地では、全ての市町村で土地区画整理事業が完了した。
しかし、当初の目論見と反して使われないままの「空き地」も残る。

東日本大震災で、4,167棟が被害を受けた岩手・大槌町。
中心部の町方地区では、2017年に土地区画整理事業が完了した。

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報告 野中翔記者:
こちらから見ると、線路から向こうが1段土地が高くなっています。大槌町の中心部は区画整理事業により、かさ上げされました

町では約30haを、平均2.2メートルかさ上げした。

町の復興を象徴する新たな文化交流センター、そのすぐ脇に全長約180メートルの末広町商店街がある。

この商店街にお茶の販売店を構える、大槌商工会の菊池良一会長。

大槌商工会 菊池良一会長:
交差点の「止まれ」の標識から丁字路の公園のところまで、当時は178メートルあり、25軒の店があった

町のにぎわいの中心だった末広町商店街。
現在、営業しているのは震災前の半分の12軒。中には、吹きさらしになったままの空き地も目立つ。

大槌商工会 菊池良一会長:
そこに縄で囲んでいる土地があるが、所有者は82、3歳で亡くなった。「絶対に建てるから」と頑張っていたが残念ながら...。子どもたちもここにいないので、最終的に土地もそのまま

所有者が町の外に転出したり、別の場所に自宅を再建したりといったケースも多く、区画整理された土地の2割で利用方法が決まっていない。

こうした状況をふまえ、町では所有者と利用を希望する人のマッチングを図る「空き地バンク制度」を設けているが...。

大槌町企画財政課 藤原淳課長:
77件の登録物件があって、契約が36件と約半分くらい。需要も落ち着いてきて、成立件数が落ちてきている

町は、町方地区の区画整理の対象地域で生活を再建する人を、事業の完了前2,100人と見込んでいた。しかし、2月に公表された最新の見込みでは1,116人と、当初の半分にとどまっている。

町に「戻りたい」人への後押しと、「迷う」人たちへの配慮

震災の2年後、2013年度に住民が参加して作った町の未来図。
町方地区のページには、高台への移転ではなく、元の土地を整備し集まって暮らす町の姿が描かれている。

当時携わった、東京大学大学院 景観研究室の中井祐教授は、地元に戻りたい人を後押しできたが、生活再建を迷う人たちへは配慮が十分でなかったと反省を口にする。

東京大学大学院 景観研究室 中井祐教授:
一番大事にしたのは、元の同じ土地に元の同じ人たちができる限り住めるようにする。「俺たちは大槌に住むぞ」と決めていた人には、強いメッセージとして効いたと思う。完全に手放すには忍びないからとりあえず土地だけを持っている人など、そういう人に対するメッセージが配慮が足りなかった

震災から10年がたつ中で、大槌町全体の人口は震災前から3割ほど減り、その減少の速度に拍車がかかっている。

東京大学大学院 景観研究室 中井祐教授:
(被災地全体では)地震が起きたあとの方が、人口の減り方が弱くなっている地域もある。都市集中が起こっている。地元に帰るに帰れない人がたくさん出てきて、都市部に集まり始めている状況を、地域計画としてどう考えるかがこれから必要

大槌町の平野公三町長は、産業の活性化や子育て支援の充実など、住民に魅力のあるまちづくりに取り組みたいと話す。

大槌町 平野公三町長:
空き地の対策、定住・移住という部分を考えて、これから新たな施策を打ち、活性化を図っていく必要があるという思いを強くしている

再建し店を開業 「これからの大槌町」を発信

人びとの営みがなかなか戻らない大槌の町。
それでも、地元を盛り上げようとスタートを切った人たちもいる。

2020年の春、開業したそば店「よりみちそばみち」。
田中正道さんは、再建した自宅を改装し店を開いた。

そば打ちに欠かせない水は地下水をくみ上げ使っている。

田中正道さん:
(震災前)いたるところに井戸水を上げている家があった

震災後、仮設のテントで食堂を開くなど、ふるさとの復興のために取り組んできた田中さん。その原動力は、愛着ある地元のためにという思いにほかならない。

田中正道さん:
発信できる人たちが発信すればよい。俺たちが発信できるなら発信すっぺしと。それで、みんな大槌に来てもらうようにしようぜと

地元で生きる、新たな町とともに歩みを進める。

田中正道さん:
10年...。俺にはこれからの10年の方が大事だ。まだまだこれから

一歩ずつでも着実に前に、もう一度にぎわいを取り戻すための模索が続いている。

(岩手めんこいテレビ)

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