東日本大震災で壊滅的な被害を受けたにもかかわらず、復興のシンボルとして復活した三陸鉄道。
その後も台風や新型コロナウイルスなど度重なる苦難に直面しながらも、人と人をつなぐために前に進む「三陸鉄道の10年」を運転士や乗客の思いとともに振り返る。
3月1日、岩手・宮古駅で行われた復興支援に感謝する列車のセレモニー。
招かれたのは、震災後に車両を製造する費用など約20億円を支援したクウェート国の大使。
クウェート国 特命全権大使 ハサン・モハメッド・ザマーン氏:
三陸鉄道が人々を再び繋げる役割となり、皆さまに復興および未来への希望メッセージを伝え続けることを心より願っている
世界中の人たちから支援を受けて復活した三陸鉄道。その道のりは度重なる苦難の連続だった。
東日本大震災で全線不通に…
2011年3月11日、東日本大震災。
三陸鉄道は、津波で駅や線路が流されるなど、317カ所に被害を受けた。
発生時走っていた2本の列車の乗員や乗客は無事だったが、全線不通となった。
あの日のことを振り返る、ベテラン運転士・小向広幸さん。
三陸鉄道・小向広幸さん:
冷静ではなかったと思うんですが、大ごとなのだなという感じはした
小向さんは地震発生時、宮古駅で運転が終わった列車の点検をしていた。
三陸鉄道・小向広幸さん:
やるべきことをやらなければという気持ちでした
ガレキの残る街。通行できる道路は限られ、移動の手段を失った人たちも数多くいた。
そうした中、三陸鉄道は被害が少なかった区間で運転を再開した。
乗客:
まず先に三鉄さんが動いてくださったので、本当にありがたいなと
設備が整っていない区間では、社員自らが信号や踏切の代わりとなり、列車を運行した。
鉄路を再び結び直す。その作業は決して容易ではなかった。
それでも社員たちは歯を食いしばりながら、失われた景色を少しずつ取り戻していった。
三陸鉄道・望月正彦前社長:
ここに三陸鉄道全線の運行再開を宣言します
2014年4月。北リアス線と南リアス線の全線が復旧した。
復興への思いを乗せて走り出した列車をたくさんの人たちが歓迎した。
地域住民:
すごく嬉しい。今夜は一杯やります
地域住民:
希望のような存在だと思う
歴史を刻む中で新たな社員も入社した。
小さい頃から鉄道ファンだった山田騎士(ないと)さん。
三陸鉄道・山田騎士さん:
明るく名前を覚えられるような運転士になりたい
2019年3月には、不通となっていたJR山田線・宮古 ― 釜石間の運営をJRから引継ぎ、長さ163kmのリアス線として沿岸を1つに結んだ。
しかし、そのわずか7カ月後、台風19号に見舞われ、再び7割の区間が運休となった。
度重なる試練を乗り越えた「三陸鉄道」
それでも全国からの支援により、5か月後の2020年3月に復旧を果たす。
度重なる試練を乗り越えてきた三陸鉄道は、被災地にとって復興のシンボルとなっている。
小向さんはこの春、運転士としてのデビューを控える山田さんの指導にあたっている。
三陸鉄道・小向広幸さん:
私たちの本分は、お客様を目的地まで安全にお連れすることなので、それを忘れないようにと言いたい
三陸鉄道・山田騎士さん:
緊張することもあるんですけど、まずは安全が第一なので、そこは忘れずにしっかりとやっていけたらなと
鉄道マンたちが何より心がけているのは「乗客の安全」。
しかし、現在それは目に見えない形で脅かされている。全国に感染が広がっている新型コロナウイルス。
観光客が大幅に減った影響で、2020年度は運賃収入が前の年と比べて5割ほど落ちこんでいる。
人気のこたつ列車は、感染対策として席数を半分に制限。取材したこの日、乗客の姿はまばらだった。それでも、走り続けるからこそ紡がれる思いもある。
今は亡き妻との思い出を巡る旅に訪れた男性がいた。
妻を亡くした久慈市の男性:
きょうは妻(の写真)を連れて、娘と2人ゆっくり北リアスの景色を見ようと思って来ました。1年に1回くらい、こんなゆったりしたところに来るのもいいなと
開業から37年。地域の足として安全な運行を続けてきた。
震災、台風、新型コロナウイルス。度重なる苦難から三陸鉄道を支えてきたのは人と人との絆。
三陸鉄道・小向広幸さん:
こんなにも頑張れと言ってもらえる鉄道はないのではないかと思う。安全運転というかたちで恩返しできればと思って運転しています
東日本大震災からまもなく10年。
被災地の思いを未来につなぐ三陸鉄道はきょうも走る。
(岩手めんこいテレビ)