シリーズ、東日本大震災。今回のテーマは「復興の課題」。
宮城県内では、約2000万トン発生した災害廃棄物・がれきの処理が課題だった。「東松島方式」と呼ばれる効率的な、がれきの処理方法で被災地のモデルとされた東松島市。当時の東松島市長は、さらなる検証と改善を求めている。

処理に100年を超える、がれきが埋まっていた

東松島市 前市長  阿部秀保さん:
東松島市の一般家庭ごみは年間約1万トン。今回、がれきが109万トンくらい出たんですよ

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震災当時、東松島市の市長を務めていた阿部秀保さん。東松島市では津波で1000人以上が亡くなり、1万棟を超す住宅が全半壊。100万トン以上のがれきが発生した。

東松島市 前市長  阿部秀保さん:
自分たちの処理能力からすると109年分ですよね。100年を超すがれきが埋まっていた。大変なことが起きた

国は膨大な、がれきを3年間で処理するよう、潤沢な予算を用意した。沿岸部には圏域ごとに仮設焼却炉が整備され、宮城県の委託を受けたゼネコンなどが一手に請け負う枠組みが整備された。ところが、東松島市は、がれきを地域で処理することを決めた。

東松島市 前市長  阿部秀保さん:
私は宮城県に対して最後まで「全部やる」とは言いませんでした。「やれるところまでやらせてください」と言った。もしかしたら、できないところはお願いするかも知れないので

がれき処理の仕事で、約1500人の雇用を生み出した「東松島方式」

背景にあったのは、2003年に発生した北部連続地震での苦い経験。
当時、合併前の矢本町では約2万5000トンのがれきが発生し、それを分別せずに回収した。その結果、処理費用が1.5倍に膨らみ、町の財政を圧迫した。

阿部さんはこのときの反省をもとに、分別を徹底してコストを下げ、同時に地域経済を活性化しようと考えた。災害で疲弊した市民にとって、収入の確保は一刻を争う課題だった。

東松島市 前市長  阿部秀保さん:
北部連続地震で、がれき処理も仕事になると学びましたので、環境省の予算をまちの経済に循環させた方が、まちのためになるのではないかと

こうして、がれき処理の仕事は、市と協定を結んでいた地元の建設業協会を通じて、約1500人の雇用を生み出した。
被災者雇用の一環として導入された、がれきの手選別作業には800人以上の市民が臨時雇用された。当時、市と協力してがれき処理にあたった建設業協会の橋本孝一さんは、被災者同士のクチコミで希望者が増えたと振り返る。

東松島市建設業協会 会長 橋本孝一さん:
ただ単に分別するだけではなく、同時にコミュニティーを取れるような取り組みをした。その場所に来るといろんな話ができるので、仲間が仲間を呼んで人が増えた

がれき処理の仕事が、被災者の心のケアに役立ったと見る人もいる。当時、市の担当部長として被災者に寄り添ってきた大友利雅さんは、手選別にあたる人たちのある変化に気づいた。

元東松島市 市民生活部長 大友利雅さん:
だんだん作業をするうちに会話ができる。お互いの悩みごとを被災者同士で語り合えるということが、心の部分をだんだん元に戻していったのでは

地元業者の協力や被災者によるきめ細かな手選別によって、東松島市の、がれき処理は震災から3年後の2014年に完了。

当初予定していた14品目から19品目に分別精度が向上し、リサイクル率は、宮城県の受託分の88%を上回る97%に達した。
分別した金属で6億円近い売却益も得られ、最終的な処理費用は当初より57億円削減し、588億円となった。

がれき1トンあたりの処理費用は約1万7000円。これは津波で被災した15市町の平均の半額以下で、圧倒的な低コストとなっている。

課題だった、がれきの処理がまちに雇用を生み、行政関係者の間では「東松島方式」と呼ばれた。
被災地のモデルケースとなった一方、当時の市長だった阿部さんは、さらなる検証こそが、今後の備えへの課題だと話す。

東松島市 前市長  阿部秀保さん:
評価されている部分はありますけれども、それでも改善の余地はもちろんあるので、それらも含めて検証・改善して、今後の防災・減災に備えてもらいたい

(仙台放送)