皇族にとっての「唯一の選挙」
皇室の方々には、選挙権は存在していません。これは、天皇に国政に関する権能を有しない、という憲法の規定、そして、日本国の戸籍を皇室の方々がお持ちでないことによると考えられます。
そんな中で、皇族の方々にとり「唯一の選挙」とも呼ばれる互選による「投票」が9月4日行われました。
正式な名称は「皇族たる皇室会議の議員及びその予備議員の互選」というものです。
今回の互選の「投票」には、皇后・雅子さま、秋篠宮ご夫妻、長女の眞子さま、次女の佳子さま、常陸宮ご夫妻、三笠宮妃百合子さま、寬仁親王妃信子さま、寬仁親王家の長女・彬子さま、次女の瑤子さま、高円宮妃久子さま、高円宮家の長女・承子さま13方が出席されました。
そもそも皇室会議とはどのようなものなのでしょうか。
皇室会議は、戦後すぐの皇室典範の第28条に定められています。メンバーは、皇族議員が2名、衆議院正副議長の2名、参議院正副議長の2名、内閣総理大臣、宮内庁長官、最高裁判所長官、最高裁判所判事1名で、合わせて10名。さらにそれぞれ予備議員がいて10名、任期は4年になります。
現在の皇族の議員は秋篠宮さまと常陸宮妃華子さまで、予備の皇族の議員は、順位の一位が常陸宮さま、二位が秋篠宮妃紀子さまとなられています。

この皇室会議が開かれるのは、皇位継承順位を変更する際、男性皇族が婚姻する際、摂政を設置するなどの際、そして皇室にとり重大な決定をする際、などです。これまでに皇室会議が開かれたのは、8回で、直近では、2017年12月1日に天皇の退位等に関する皇室典範特例法の施行日に関する件で開かれています。
要はこの時に、天皇陛下のご即位の日について10名から意見を聞く会議が行われたのです。昭和22年10月13日の一回目で、皇室離脱に関して会議が開かれた以降、2回目から7回目まではすべて男性皇族の婚姻に関する会議でした。お妃として皇室に入られる女性について、どのような方か確認するために開かれるもので婚姻のための直近の皇室会議は、1993年1月に陛下と雅子さまの婚姻に関してのものでした。
「互選」投票から開票まで
どのように互選は行われるのでしょうか。
残念ながら、私たちもその様子を拝見したことはありませんが、投票のための部屋には、筆やペンなどの筆記用具が用意され、決められた紙にお一人ずつ4人の皇族のお名前を記入し、箱に「投票」されると言うことです。
その場で開票が行われ、一番名前が多かった方から議員2人と予備議員2人が決まるわけです。同数だった場合には、ご本人によるくじ引きも行われると言うことです。今回9月4日に皇居・宮殿で10時から始まった互選の場に、皇族方が集まられましたが、上皇ご夫妻のお姿はありませんでした。

上皇さまは、特例法の規定で天皇陛下同様に互選人にはなられないと言うことが決められていたためで、上皇后さまは、「投票」に参加することで、上皇さまの意思が反映されていると誤解されることを避けるため参加されないことにないました。乳がんのご手術も近いことから宮内庁もご体調を心配したのかもしれません。
また、未成年の敬宮愛子さまと秋篠宮家の長男・悠仁さまも参加されていません。このように見ていくと、実は互選人となる有資格者は上皇后さまを含めて13方しかいないという現実が見えてくるのです。

44年間も務められた常陸宮さま
今回の互選で議員となられたのは、秋篠宮さまと常陸宮妃華子さまでした。予備議員には、一位に三笠宮妃百合子さま、二位には秋篠宮妃紀子さまが選ばれました。三日以内に本人から辞退の申し出がなければ確定します。秋篠宮さまは、予備議員を含めると4期目、華子さまは2003年から今回で5期目となります。
また予備議員の百合子さまは今年96歳になられています。実は、常陸宮さまは今回選ばれませんでしたが、議員・予備議員含めると1987年から今年まで、44年間も務められてきたのです。亡くなられた三笠宮さまは60年務められたので、最長と言うことではありません.
こうしたことからも、皇族方がいかに少なくなっているか強く感じてしまいます。
次回の「選挙」は4年後の令和5年に予定されていますが、その間、まだ悠仁さまのご婚姻に関する皇室会議はないでしょう。つまり不測のことがない限りは皇室会議が開かれることはないのですが、次にどなたが議員・予備議員をされるのか、心配が尽きることはありません。
