シリーズ「東日本大震災から10年」。今回は国内外から寄せられた「支援」。
震災発生直後から、被災地にはさまざまな支援が集まった。その一方で、必要な支援が届かないというジレンマにも直面。
支援の力とこれからの課題について考える。

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届いた支援 届かなかった支援 

東日本大震災では、団体や個人を問わず世界中から支援が集まった。宮城県に寄せられた義援金の総額は約2170億円。これは、年間の仙台市の市税収入に匹敵する。

記者リポート:
今、トラックから次々と物資が降ろされています

水や食料、薬に着替え。さまざまな支援物資が宮城県内に届いた。

被災した住民:
とてもありがたいと思います。助かります

取材班:
ほっとする瞬間はある?

被災した住民:
支援物資が届いたとき。電気が戻った瞬間は一番うれしかった

災害ボランティアも大きな力となった。宮城県内で活躍したボランティアの人数は社会福祉協議会が集計できた数だけで約78万人。

ボランティア:
本当にちょっとの役にしか立てないんですど、できることをしていきたい

ボランティア:
自分たちがやるべきことを、少しでもやっていきたい

映画俳優やアイドル、スポーツ選手など、多くの著名人も被災地を元気にしようと駆け付けた。
一方、課題も多く残された。あの日、仙台市宮城野区の仙台製油所では津波により火災が発生。4日間にわたって燃え続けた。

これにより、東北地方のガソリンの生産がストップ。被災地は深刻なガソリン不足に陥った。

記者リポート:
この先にガソリンスタンドがあるのですが、車の列が非常に長く連なっています

給油の列に並ぶ人:
きのうの午後3時から並んでいる。その前も並んでいる。仕事にもいけない

さらに、地震や津波で道路や通信設備が被災し、正確な情報が伝わらず、必要な物資が送られてこないなど、「届かない支援」も被災者を悩ませた。

被災した住民:
子供がいるんですけど、5歳の子供の服がなかなか回ってこない。いろいろ援助物資は届くんですけど、赤ちゃん用品ばかりで…

被災地支援のこれからの在り方

被災地支援を研究する東北大学の奥村教授は、災害が起きたときに真っ先に必要なのは正確な情報だと話す。

東北大学災害科学国際研究所 奥村誠 教授:
大きな災害になればなるほど、実態として被災地で実際に起こっていることが伝わってこない。これが必要だろうと思ったものが必要でないとか、時間が経つ間に、他のものが必要になったとか、そういうことが起きます

しかし、今後の支援のヒントとなる方法も震災を機に生まれた。例えば、NPO法人が企画した支援物資の配り方。避難所に送るのではなく、広場に支援物資を並べて被災者が必要なものを、自分で選んで取ってもらう方法。

被災した住民:
トイレットペーパーとレトルトのカレーをもらいました。すごく助かります

被災した住民
紙おむつとか、靴下とかいただきました

何がどれだけ必要か、「調べて」「運ぶ」という作業を省略でき、その分、被災者に早く届けられることが分かった。さらに、ボランティアをバックアップする新しい考え方も生まれた。

東北大学災害科学国際研究所 奥村誠 教授:
ボランティアで現地に入る方が必要とするものを、他の地域から送ってあげる。その人たちが現地に入る時に持たせてあげる。そういうものが結構重要になってきています

震災当時、気仙沼小学校の4年生だった鈴木勇汰さん。自宅を津波で失った鈴木さんが今もはっきり覚えていることがある。それは、避難所で炊き出しボランティアの人たちが作ってくれたラーメンの味。

東北学院大学2年 鈴木勇汰さん:
すごくおいしくて、感動しました

鈴木さんは今、東北学院大学の2年生。大学内にある、災害ボランティアステーションの代表となり、学生ボランティアの先頭に立っている。

東北学院大学2年 鈴木勇汰さん:
震災があって炊き出しが来てくれて、そういうのを見て、というのは間違いなくある。震災が無かったら、ここにも入っていなかったと思う

支援される側から、支援する側へ。震災から10年、支援のバトンがつながっている。

(仙台放送)