初代鎌倉幕府将軍・源頼朝の弟といえば、義経が知られている。
しかし、実はもう1人、弟がいた。
名前は「源希義」。
土佐の地で20年間過ごし、若くして非業の死を遂げた武将。
希義の足跡を今に伝える人たちを取材した。

非業の死を遂げた武将・源希義

高知市の介良川沿い。
小高い山に向かう細道を登っていくと…

石井愛子アナウンサー:
草木がうっそうと生い茂っていて、道なき道を歩いている感じです。道幅も狭くて険しいですね

歩くこと3分ほど…木立に囲まれ、ひっそりと佇むのが源希義の墓。

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平安時代末期。平治の乱で、父・義朝が武将・平清盛に敗れた翌年、兄・頼朝は伊豆へ、希義は土佐に流された。

実に9歳のときのことだった。
その後20年間、希義はこの地で暮らしていたと言われているが、詳細は分かっていない。

1180年、頼朝の呼びかけに応じて、打倒平家のために立ち上がった希義だが…

石井愛子アナウンサー:
高知・南国市の鳶ケ池中学校の正門付近です。源希義という文字が見えます。希義公はこの辺りで平家の軍勢の襲撃にあったといわれています

希義は、幼くして離れ離れになった兄・頼朝との再会は叶わぬまま、29歳という若さで生涯を閉じた。

そんな悲運の武将を偲び、1992年 顕彰会が鎌倉にある頼朝の墓と、希義の墓の土と石をそれぞれ交換した。

800年もの時を経て、「再会」を果たすことが出来た。

忘れ去られた人物…「その足跡を知ってほしい」

この日は年に一度の“墓前祭”。
知られざる戦国武将を慕う人々が玉ぐしを捧げた。

源希義公顕彰会・近森正博さん:
一般の方には忘れ去られた人物ですので、なんとかこの方(希義)の足跡を知っていただきたい。新資料も出てきていますので、気長にやっていきたい

源頼朝、そして義経の兄弟・希義。
戦国の世、ここ土佐の地で非業の死を遂げた1人の武将の生涯を、苔むした小さな墓石が語り伝えている。

(高知さんさんテレビ)