「主文、被告は原告に各1億ウォン(約950万円)を支給しなさい」

1月8日午前10時、韓国・ソウル中央地裁のキム・ジョンゴン裁判長はそう言い渡した。原告とは旧日本軍の慰安婦だった韓国人女性12人(遺族含む)であり、被告は日本政府だ。

判決は仮執行を認めているため、原告はいつでも韓国国内の日本政府の資産、例えば日本大使館が所有する自動車やその他備品、場合によって大使館職員の宿舎などの差し押さえを申請出来る。もし差し押さえられたら、日韓関係は破綻だ。

韓国の裁判所が日本政府に賠償支払いを命じるという前代未聞の判決はなぜ言い渡されたのか?

原告の元慰安婦イ・オクソンさん
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主権免除は認めない

問題の判決はこう述べている。

「この事件は組織的に広範囲に強行された反人道的犯罪行為であり、国家の主権的行為といっても主権免除を適用できない」

主権免除とは主権国家は外国の裁判で被告にはならないという国際慣習法だ。19世紀に成立したもので、国の大小を問わず「主権」は平等であり、どんな国の政府も他国の裁判に従う必要は無いという考えから生まれた。

日本政府はこの主権免除を理由にこの裁判には参加しておらず、主権免除が適用され訴えは却下されるべきだとの立場を、韓国政府に伝えていた。しかし裁判長は主権免除の適用を否定した。

日本政府はすぐさま「国際法上の主権免除の原則を否定し、原告の訴えを認める判決を出したことは、極めて遺憾であり、日本政府として本判決は断じて受け入れられない」と強く韓国政府に抗議した。その上で「慰安婦問題を含め、日韓間の財産・請求権の問題は、1965年の日韓請求権・経済協力協定で完全かつ最終的に解決済みだ。また、慰安婦問題については、2015年の日韓合意において「最終的かつ不可逆的な解決」が日韓両政府の間で確認されている」とした上で、韓国政府に国際法違反を是正するために適切な措置を強く要請した。

日本政府が指摘した請求権協定と日韓合意について、判決は「被害をこうむった個人に対する賠償は含まれていない」と一刀両断した。2国間で異なる見解を持つ国際的な条約や約束について、一方の国の司法が一方的に決めつけ、賠償を命じるというのは、国際関係の安定性を踏みにじる判決と言えるのではないか。

裁判長がこうした判決を言い渡したのは、個人的な資質や考え方が大きな理由ではあるだろう。しかし、外形的に、こうした判決を言い渡さざるを得ない異様な状況が今の韓国社会にあるのだ。

気に入らない裁判官は弾劾だ

「偏見を元にした判決だ」

「司法改革が必要だ」

「裁判官の弾劾が必要だ」

これは判決に不満を持つ人が裁判所や酒場の片隅でくだを巻いている時に放った言葉ではない。権力者と言える与党系の国会議員が、ある裁判を担当した裁判官に向け、公の場で話した言葉なのだ。

その裁判とは、日本でも多く報道された「タマネギ男」ことチョ・グク前法相の妻が、娘の大学入試に際して文書を偽造した罪などに問われた刑事事件の裁判で、裁判官はチョ前法相の妻に対し懲役4年の実刑判決を言い渡した。

チョ・グク前法相

チョ前法相は文在寅大統領の側近中の側近だった人物。チョ前法相本人の裁判にも影響を及ぼしかねない有罪判決を言い渡した裁判官に、与党系の議員が猛反発したのだ。

チョ・グク前法相(右)は、文大統領の側近中の側近だった

議員だけではない。韓国大統領府のHPにある国民請願窓口に「裁判官の弾劾を要求する」との請願が出され、約45万人(1月8日現在)の賛同が寄せられている。大半は熱狂的な与党支持者とみられる。

こうした現象は最近韓国社会を揺るがせた文在寅政権と検察トップのユン・ソクヨル検事総長との激しい対立の際にも見られた。文大統領はユン総長に対し停職2カ月の懲戒処分を下したが、裁判所がその処分を取り消した際、与党議員は「大統領の権力を止めた司法クーデターだ」「裁判所から民主主義が脅威を受けている」などと裁判官を集中攻撃したのだ。

大統領府のHPにはチョ前法相の妻に有罪判決を下した裁判官を弾劾すべきとの声が45万件近く寄せられている

韓国憲法にも日本国憲法と同様に裁判官の独立を保障する文言がある。裁判官への不当な圧力は法治国家では忌避されるべきことだが、昨今の韓国社会ではそれがまかり通っている。韓国社会には根強い反日思想があり、司法へのあからさまな圧力が国会議員や世論からもたらされる中、裁判官が「日本勝訴」の判決を出しにくい状況になっているのだ。

そもそもこの裁判については、朴槿恵政権時代の韓国最高裁幹部が「主権免除、統治行為論(国家による高度な政治判断は裁判で裁くべきでないという法理論)、韓日慰安婦合意、消滅時効などにより難しい事件ではないか」との認識を持ち、「法理上(韓国の裁判所の)裁判権が認められる余地が少ない。経済的波紋、対外的信任度など考慮すれば、慰安婦個人の請求権は消滅したと判示することが相当だ」との報告書が作成された事が明らかになっている。

もっとも、これらの報告書を作ったのが「政権への忖度」という事で、当時の最高裁幹部は現在刑事被告人となっているが。現政権は朴槿恵政権ら保守派を徹底的かつ執拗に攻撃しており、保守政権時代にこうした日本勝訴との報告書が出ていた事も、今回の裁判官の判断に影響を及ぼしたかもしれない。

日韓関係はどうなるのか?

原告代理人は「日本政府の資産差押えについては検討中」としている

日本政府から強い抗議を受けた韓国政府は、「裁判所の判断を尊重する」としながらも「2015年の日韓合意は正式な合意だと想起する」とした上で「建設的かつ未来志向的な協力を続けられるよう努力する」としている。

文在寅政権が有効な解決策を打ち出す余地は少ない

しかし文大統領を支える与党のスポークスマンは日本の抗議に対し「相変らず歴史を歪曲している日本政府に失望感を隠すことができません」とし「被害者の呼び掛けを冷遇し、一貫して図々しさを維持してきた日本政府がこの判決を契機に歴史を直視するよう願います」とコメントした。韓国の与党が、日本政府を「図々しい」と罵倒したのだ。

韓国では、来年行われる大統領選挙の前哨戦であるソウルと釜山の市長選挙が4月に控えている。韓国政府が日韓関係を何とかしようと「努力する」と言ったところで、選挙を前にした与党周辺からは強硬論が出続けるだろう。また韓国政府はいわゆる徴用工訴訟と同様に「司法に介入しない」「裁判所を尊重する」という立場だ。与党周辺の強硬論と司法不介入により身動きが取れなくなっている。有効な解決策が韓国政府から出てくる可能性は、現時点では低いだろう。

いずれにせよ、日本政府に賠償を命じる判決は下された。裁判に参加しない日本政府は控訴しないと明言しており、2週間後に判決は確定する。日韓関係が破綻するであろう、日本政府の資産差し押さえという事態は、そう遠くない時期に起きるかもしれない。

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【執筆:FNNソウル支局長 渡邊康弘】