倉本聰さんが北海道・富良野市に残したものはドラマや演劇の舞台だけではありません。
富良野の森を愛した倉本さんは「北海道の食を守る」ことを1軒のレストランに託していました。
「本当に富良野を愛していらっしゃった」(大塚敬子さん)
「良い料理を作り続けることが、倉本先生への恩返し」(大塚健一さん)
倉本聰さんへの思いを口にする大塚健一さんと敬子さん。
2人を富良野に導いたのが倉本さんでした。
森の中にたたずむ「ル・ゴロワ フラノ」。
倉本さんがプロデュースしたレストランです。
2018年に開業したとき、その思いに触れました。
「建物も一つの作品である。料理も一つの作品である。景色も一つの自然の作品である。そういう中でみんなが楽しんでくれれば」(倉本聰さん)
「ル・ゴロワ フラノ」を営んでいるのが大塚さん夫婦です。
倉本さんは毎月のようにレストランに足を運び、亡くなる2か月ほど前まで2人が提供する食事を楽しんでいたといいます。
「先生がお好きでした茶路めん羊牧場の骨付きの子羊をまき火で焼いております」
「お肉はいつもまき火で子羊を焼いてくれと。骨付きを手で召し上がるのが好きでした」(いずれも敬子さん)
いつも忘れないようにしているのが「生産者と共に北海道の食を大切に守る」ということ。
倉本さんの教えでした。
「先生は生産者をとっても大事に思っていらして『生産者の人たちこそ立派だ』と。それは私たちにも教えてくださったこと」(敬子さん)
倉本さんが座っていたのが、この椅子です。
富良野の森が見渡せました。
「この景色と空気、水と全部一緒に楽しめるレストランって数少ないと私も思います」(敬子さん)
「なんだか座ってるだけで富良野を感じますね」(八木隆太郎キャスター)
倉本さんとの出会いは、2010年ごろ。
2人が東京でレストランを経営していた頃にさかのぼります。
2人は山梨県などで、引退した競走馬などを飼っていましたが、ドラマ『風のガーデン』に出てくるようなオーベルジュをつくり、馬と一緒に暮らすのが夢でした。
そこで、『風のガーデン』の脚本を書いた倉本さんに手紙を書いたのです。
すると…
「ある日突然、店にお電話がかかってきまして『北海道の倉本です。来週の月曜日、東京に行くからお店に寄りたい』と。その日、ドキドキしながら待っていたんですね。ふっと店の玄関を見たら蛍ちゃんが立ってて、びっくりしまして。蛍ちゃんの次には大竹しのぶさんがいらっしゃって。先生と奥様と4人でお食事をされたのが初めてのこと」(敬子さん)
この食事のあと、倉本さんは2人に新富良野プリンスホテルの敷地を紹介したといいます。
店のデザインにもアイデアを出し夢を後押しした倉本さんは、料理にも注文をつけました。
「『新鮮な素材をシンプルに料理するには、イタリア料理のテイストを入れた方がいいんじゃないか』って、そういうアドバイスをいただきまして。僕はもうフランス料理をずっとやってたので、『僕、イタリア料理なんかできません。年も年だし』って言いましたら、先生が『まだ僕はね、80代でも常に新しいことに挑戦してるんだ。君はいくつだ?』と。ちょうど60歳になるところで『60だったらまだ若造じゃないか。これからまだどんどん挑戦しなさい』ということで、僕もやる気になった」(健一さん)
大塚さん夫婦が飼っている馬が出産したときには、お祝いのプレゼントをくれました。
「(出産の)次の日の朝、先生と奥様が生まれたばかりの犬を抱えていらっしゃった。『これ、生まれた子馬のハッピーバースデープレゼント』と言って渡されたんです。『名前は大里れい』っておっしゃいました。『北の国から』の純くんの初恋の人」(敬子さん)
「れい」は15歳になった今も近くの森を元気に走り回っています。
倉本さんが亡くなって、いま感じることは…
「いらっしゃらなくなった後、この富良野の森が一時、本当に寂しそうで、こんな悲しそうな森はなかった。森や山が辛そうでした」
「先生はやっぱりこの富良野の森になったんだと思うんですよね。この森の中にいれば先生が多分どっかにいらっしゃる」(いずれも敬子さん)
「(Q:これからも先生の思いを背負ってやっていく?)そうです。その通りです」(敬子さんと健一さん)
