10月14日は「鉄道の日」。明治5年に新橋(東京)-横浜(神奈川)間で日本で初めて鉄道が開通した日です。
福井県内では、北陸新幹線の始発・終着駅となっている敦賀が“鉄道のまち”として知られていますが、実は日本で5番目に線路が敷かれたまちなのです。なぜ、敦賀は“鉄道のまち”になったのか。田丸萌夕希アナウンサーがブラブラ歩いて、その“秘密”を解き明かします。
田丸萌夕希アナウンサー:
「北陸新幹線の始発・終着の駅、敦賀。大きい駅舎ですね。新幹線も見えます!きょうは“鉄道のまち”敦賀でブラタマル!」
2年前に敦賀まで延伸した北陸新幹線。敦賀駅は関西や中京をつなぐ列車の結節点としてにぎわいます。
そんな敦賀は、いまから140年以上前の明治15年に、日本海側で初めて鉄道が敷かれたまちです。
今回は、敦賀市立博物館・学芸員で館長の高早恵美さんと一緒に歩きながら話を聞きます。
敦賀はなぜ“鉄道のまち”になったのか、その歴史を知るため、まずは港の方に向かいました。
海に近い金ヶ崎エリアは、江戸時代の絵図には舟や倉庫があり、にぎわう港の様子が描かれています。敦賀は、古代から“天然の良港”として栄えました。高早さんによると「湾が深く入り組んだ穏やかな港で、京都・大阪に近かったから」だそうです。
この港の繁栄が、鉄道のスタートにも大きく影響しているのです。
その名残がいまも残されている場所が―
鉄道資料館は、金ヶ崎に昔あった駅舎を再現したもの。残されている明治15年頃の鉄道路線図を見ると、港まで鉄道が来ていた事が分かります。
明治の初めに、国が京都-東京を結ぶ鉄道(いまの東海道)を計画。日本海側のどこかを結ぼうと選ばれたのが敦賀の港だったといいます。
近代化が進んだ明治時代、国は東海道と日本海側を結ぶ輸送ルートとして、敦賀に注目したのです。こうして明治15年(1882年)、敦賀は日本海側で初めて、全国で5番目に鉄道が敷かれました。
さらに大きく発展を続けた理由は「敦賀が三方を山に囲まれた地形であったことも一つの要因になっている」と高早さんは説明します。
その地形について高早さんが教えてくれるというので、さっそく向かったのは、北陸トンネルの前。
敦賀に鉄道が開通した後、今度は北(福井方面)へ線路は伸びていきました。明治29年に最初につながった旧北陸線は「山の中を曲がって曲がって、一旦海側にも出て大変な急こう配をSLが苦労して上っていく…すごい“難所”として知られている。この難所を越えるため、多くの機関車や関連する職員が敦賀に配置されたことで、敦賀が“鉄道のまち”と言われる所以になっていく」(高早さん)
そして“デゴイチ”の愛称で知られる蒸気機関車「D51」も、敦賀-今庄の急こう配を走り、人やモノの輸送を支えました。
滋賀県境の小刀根トンネルに“あるエピソード”が残っています。
「150年くらい前のもので、日本の鉄道トンネルで“現存する最古のトンネル”とされている。かの有名な蒸気機関車D51は、このトンネルを通ることを想定して設計されたと言われている」(高早さん)
機関車までが、敦賀に合わせて造られたということなのです。
昭和後半になると、敦賀は「ブルートレイン」と呼ばれた寝台列車を引っ張る電気機関車が多く置かれ、機関車を交換する拠点となりました。
そして、敦賀駅前の地名は「鉄輪町(かなわちょう)」と鉄道に由来した名前がいまも息づいています。
敦賀と鉄道は、とても関係が深いことが分かります。
「鉄道が来たのは京阪神に近い古くからの港があったことがある。三方を山に囲まれ、鉄道にとっては“不利な場所”だが、それを乗り越え、いまは新幹線が来ている。敦賀と鉄道は切っても切り離せない縁があると思う」(高早さん)
レールをつないだ“敦賀ならでは”の地理的な特徴や歴史。これからも、きっと敦賀は“鉄道のまち”なのでしょう。
