俳優の大東駿介さんが、訪れた街のうんちくや、まだ地元住民にも知られていないような魅力を探す「発見!てくてく学」。
今回訪れたのは、京都を代表する人気商店街・新京極商店街です。
三条通から四条通までの約500メートルを南北に走るこの商店街は、150年を超える歴史を持ち、地元の人や観光客で連日にぎわっています。
本場に負けない!きしめんの名店に…養殖の老舗で見つかった90年前のお宝まで!
新京極商店街で、思わず「ホンマに!?」と驚いてしまうような情報を大東さんが探し歩きました。
■商店街の中に「お寺が7つ・神社が1つ」
新京極商店街を歩き始めた大東さんがまず驚いたのは、商店街の中に神社仏閣が点在していることです。なんとお寺が7つ、神社が1つあるのです。
【大東駿介さん】「いま言われてみて気づいたけど、不思議な光景ですよね。商店街の店舗の入口の中に、お寺の入口があんねんから」
厳かな門構えのすぐ横からヒップホップが聞こえてくるという、独特な距離感。
なぜこのような造りになっているのか、その答えは商店街の中にありました。
■実は全部お寺の境内だった!「新京極商店街」誕生の秘密
大東さんが立ち寄ったのは、土産物店「辨天堂」。
もともと女性のかんざしやおしろいを販売していましたが、第二次大戦後に観光客向けの土産物店に転身したそうです。
【5代目店主・岡本喜雅さん】「戦争中に女性が着飾ることができなくなったんです」
そんな岡本さんに、新京極の「ホンマに!?」を尋ねると、驚きの事実が明かされました。
【5代目店主・岡本喜雅さん】「元々この商店街は明治まではお寺の中だったんです」
【大東駿介さん】「そもそも敷地内やったんですか!ホンマに!?」
■「京極」=「京都の端」
明治時代までこの一帯はすべて寺の境内だったのです。約2000坪もあった寺の境内の中に道を通して作られたのが、新京極商店街でした。
明治維新で天皇が東京へ移り、御所近くの住民の約4割が東京に移動したことで、京都は空き家だらけに。
明治4年に出された神社仏閣の所有地を整理する法令をきっかけに、活気を取り戻すため、お寺の敷地に商店街が作られたのです。
ちなみに「京極」とは京都の端という意味。
もともと東の端の通りが寺町京極商店街(東京極)で、その東にさらに新しい商店街ができたため、「新京極」と名付けられたのだそうです。
【大東駿介さん】「端っこで『京極』。それで、新しい端ができたから『新京極』。面白い」
■ 152年の歴史・京都のきしめん店「更科」
続いて、大東さんの目に飛び込んできたのは、きしめんの看板。
新京極で最も古い152年の歴史を持つ「更科」です。
【6代目店主・鬼頭亮二さん】「新京極の中では一番古い。ただ、京都の中では若手。京都では300年、400年…お寺さんなんかは600年、800年…」
京都では、創業から152年のお店でもまだ「若手」というホンマに!?な価値観がありました。
「更科」は、愛知県出身の初代がきしめんを出したのが始まり。
しかし創業当時、京都の人にきしめんはなじみが薄く、客入りは悪かったそうです。
店主の鬼頭さんは、京風の出汁に合うよう、麺の薄さを名古屋のきしめんよりさらに薄い1ミリ以下に改良。
薄いとちぎれやすくなるため、小麦粉の配合も見直しました。
平べったい麺が出汁をしっかり連れてくる、ここでしか食べられない「京都のきしめん」として受け入れられるようになったのです。
【大東駿介さん】「うっまいで!もうないもん…いままでの麺類で最速かも。我を失ってた」
■ 創業100年の洋食の老舗「スター食堂」
続いて大東さんが訪れたのは、去年創業100周年を迎えた「スター食堂」。
現在は京都市内を中心に17店舗を展開する、京都の洋食を語る上で欠かせない存在です。
創業者の西村寅太郎さんはアメリカに渡り洋食文化に触れた後、京都に帰郷。
「洋食の実用化」という言葉を看板に掲げて店を始めました。
当時の京都の人々にとって洋食は未知の食べ物。
80代の常連客が「スター食堂で初めてナイフ&フォークを使った」と語るほど、ナイフとフォークの使い方すら分からない時代でした。
一番人気のオムライスグラタン チーズ&デミグラスをいただきます。
【大東駿介さん】「年を重ねると、デミグラスとかちょっと怖くなるじゃないですか。でもめちゃくちゃあっさりさっぱりしてる!オムライスもさっぱり味付けされてる。オムライスはこうでないと!」
■ 90年前の「マニュアル本」を発見!
スター食堂でも「ホンマに!?」な発見がありました。
100周年を機に会社の歴史を調べる中で、昭和10年(1935年)、開業10年の節目に作られたサービスマニュアルが見つかったのです。
「標準語でしゃべりなさい」「お客さんを迎えるときは『いらっしゃいませ』と言いましょう」といった接客マニュアルに加え、エビフライを「ヱ・フ」、うさぎのカツレツを「ウサ・カ」と呼ぶメニューの略称表、さらには「新聞朝食」「新聞料理」という謎のメニューも記されていました。
■創業者の熱い思い
この本に書かれているのは、マニュアルだけではありませんでした。
「生きることは呼吸することにあらず、何事をかなすことなり」「涙と共にパンを食べたものでなければ人生の味は分からない」といった、創業者・西村寅太郎さんの熱い思いが書かれていたのです。
大東さんも「ものすごいパンチラインやで!」と深く心を動かされた様子。じっくりと本を読みこんでいました。
【大東駿介さん】「これを読んだ人間は、『仕事をこなす』という発想が生まれようがないんですよ。店のマニュアルだけでなく、人生のマニュアルである。これって本当に、人と接する、人と一緒に商売していく中の一番大切なことやと思う。僕も参考にさせていただきます」
(関西テレビ「newsランナー 大東駿介の発見!てくてく学」2026年10月1日放送)
