2001年9月11日、米国で発生した同時多発テロ事件(以下、9.11)は、世界の安全保障環境を一変させた。
この未曾有のテロ攻撃は、米国と中国の関係にも大きな影響を及ぼし、それまで緊張の兆しを強めていた両国関係に、一時的な協力の空間を生み出す契機となった。
同年1月に発足したジョージ・W・ブッシュ政権は当初、中国を戦略的競争相手と位置付け、対中警戒を強めていた。
しかし9.11後、テロとの戦いが米国の外交・安全保障政策の最優先課題となったことで、中国への懸念を前面に出す姿勢は後退し、両国は対テロ分野を中心に協力を先行させていった。この変化は、米中の戦略的競争そのものを終わらせたわけではなかったが、冷戦後の米中関係における1つの転換点となった。
アメリカの偵察機が中国の島に
2001年1月に発足したブッシュ政権は、クリントン政権期の対中政策とは異なり、中国を潜在的な戦略的競争相手として強く意識していた。ブッシュ大統領自身も選挙戦中、中国を「戦略的パートナーではなく競争相手」と表現していた。
この背景には、冷戦後の国際秩序における米国の優位性を維持する必要性と、中国の急速な経済成長および軍事力増強に対する警戒感があった。
特に、2001年4月に発生した海南島事件は、米中間の緊張を一気に高めた。
米海軍のEP-3偵察機と中国の戦闘機が南シナ海上空で衝突し、米軍機が海南島に緊急着陸した事件である。米国は中国軍機による危険な飛行を問題視し、中国側は米国の偵察活動を批判した。この事件は、台湾海峡や南シナ海を含むアジア太平洋地域において、両国の軍事的・戦略的競争が強まっていることを示す契機となった。
9.11前の米中は「競争と不信」
ブッシュ政権は発足当初、中国の台頭を重要な戦略課題と認識していた。
台湾への武器売却を進める一方、日本やオーストラリアなどとの同盟関係を重視し、アジア太平洋地域における米国の軍事的・政治的影響力を維持しようとした。
このため、2001年前半の米中関係には協力よりも競争と不信の要素が強く、両国関係は対立を深める可能性を抱えていた。
「テロとの戦い」が最優先課題に
しかし、こうした状況を大きく変えたのが、2001年9月11日の同時多発テロであった。

アルカイダによるテロ攻撃は、ニューヨークの世界貿易センタービルやワシントン近郊の国防総省などを標的とし、約3000人が犠牲となった。この事件は米国本土に対する前例のない攻撃として世界に衝撃を与え、米国の国家安全保障政策を根本的に変化させた。
ブッシュ政権はテロへの対応を国家安全保障の最優先課題と位置付け、「テロとの戦い」を開始した。アフガニスタンのタリバン政権を打倒し、アルカイダを壊滅させることが最優先の戦略目標となった。
そのため、米国はテロ対策において国際社会の幅広い協力を必要とするようになった。
中国がアメリカに「哀悼と支持」
この新たな安全保障環境は、米中関係にも大きな影響を及ぼした。
中国は9.11直後、米国に対して哀悼と支持を表明し、テロ対策における協力姿勢を示した。
当時の江沢民国家主席はブッシュ大統領との関係を強化し、国際テロリズムへの共同対応の必要性を強調した。中国にとっても、イスラム過激派や分離主義勢力への警戒は重要な安全保障課題であり、米国主導の国際的な対テロ協力に参加することには戦略的利益があった。
米国側も、中国との協力を完全に無視することはできなかった。
中国は国連安全保障理事会の常任理事国であり、中央アジアやパキスタンを含む周辺地域にも一定の影響力を有していた。よって、米国がアフガニスタンで軍事作戦を展開し、国際的な対テロ包囲網を形成する上で、中国の協力は政治的・外交的に重要な意味を持った。
対テロ協力が米中の接点に
9.11後の変化は、2001年10月に上海で開催されたAPEC首脳会議でも明確に示された。
ブッシュ大統領と江沢民国家主席はテロ対策を重要な共通課題として確認し、両国間の対話と協力を強化した。この時期、米中関係は対立から全面的な友好関係へ転換したわけではない。しかし、発足直後のブッシュ政権が示していた対中競争重視の姿勢は影を潜め、対テロ協力が両国関係の重要な接点となった。
その象徴の一つが、中国の新疆政策をめぐる問題であった。
新疆の武装組織を米中が“テロ組織”指定
中国政府は新疆における分離主義や武装活動を国際テロリズムと関連付けるようになり、「東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)」などをテロ組織として位置付けて国際社会に理解を求めた(アルカイダとETIMが関係があるというレトリックを用いた)。
米国も対テロ戦争を進める中で、中国が主張する一部の武装組織についてテロ対策の枠組みで対応し、2002年にはETIMをテロ組織として指定した。
このことは、中国にとって新疆問題を国際的な「テロ対策」の文脈で説明する上で一定の外交的利益をもたらした。しかし、米国が中国の新疆政策全体を支持したわけではない。米国政府や人権団体は、中国政府がテロ対策を名目として、正当な政治的・宗教的活動や少数民族の権利まで広範に抑圧する可能性について警戒していた。
したがって、9.11後の対テロ協力が中国の新疆政策に影響を与えたことは事実であるものの、それを後年の大規模な監視体制や収容政策と直接同一視することには注意が必要である。
特に、国際社会で大きな問題となった新疆における大規模な収容施設や高度な監視体制の拡大は、主として2010年代後半に顕著になった現象である。
9.11直後の国際的な対テロ環境は、中国政府が新疆問題を「テロ対策」として位置付ける外交的言説を強化する一因となったが、その後の政策展開を単純に9.11の結果とすることはできない。
国連安保理で米中が協力
米中間の協力は国連における対テロ政策にも及んだ。中国は国連安全保障理事会の対テロ関連決議を支持し、テロ資金対策や国際的な情報共有の枠組みに参加した。中国にとってこれは、国際社会において責任ある大国としての役割を示す機会でもあった。
ただし、この時期に米中関係の根本的な競争構造が消滅したわけではない。
台湾問題、中国の軍事力増強、人権問題、地域における影響力をめぐる競争など、両国間には依然として深刻な対立要因が存在していた。
9.11後の協力は、共通の脅威に対応するための戦略的利益の一致によって成立したものであり、長期的な価値観や安全保障上の利害が一致したことを意味するものではなかった。
9.11による米中協力
その後、ブッシュ政権後期になると、中国の軍事力増強やアジア太平洋地域における影響力拡大への米国の警戒は再び強まった。さらにオバマ政権では「アジアへのリバランス」政策が進められ、中国の台頭への対応が米国外交の重要課題として再び前面に浮上した。

それでも、9.11が米中関係に与えた影響は極めて大きかった。
テロとの戦いという共通の課題は、それまで競争と不信を強めていた両国に、一時的ではあるものの協力の枠組みを先行させることになった。米国にとって中国との戦略的競争は消滅したのではなく、テロ対策というより緊急性の高い安全保障課題によって一時的に優先順位が下がるに至った。
【執筆:株式会社Strategic Intelligence代表取締役社長CEO 和田大樹】

