長野県諏訪市在住の報道写真家・石川文洋さんが8月23日、亡くなりました。過去の番組から、石川さんの功績や人柄をたどります。(肩書、年齢、名称などは掲載当時のまま)
※NBSフォーカス信州「伝え続ける ―86歳の戦場カメラマン―」(2024年5月24日放送)より(全3回の記事その2)
86歳の報道写真家・石川文洋さんは、自身の足で現地に赴き、人の営みと平和の大切さを記録し続けている。2024年1月に発生した能登半島地震の現場では、伝統を奪われた人々の苦悩と復興への思いを取材した。また、かつて取材したベトナムの地を日本の若者たちと共に訪れ、写真を通して戦争の残虐性と日常の尊さを語りかけた。「現場に行くこと」を信条とするベテランカメラマンの歩みと、次世代へ託す平和のメッセージを追った。
■現場に立つ「歩く報道写真家」
石川文洋さんは、日々の散歩を欠かさず、自身の足で歩くことを取材活動の土台としている。過去には日本海側3300kmを5ヵ月かけて踏破するなど、日本縦断の旅を2度成し遂げた。
「歩かないと見えない風景がある」と語る石川さんは、自分の足で行き、自分の目で現場を見る姿勢を何よりも大切にしてきた。現場に直接立ち、現地の人々と対話を重ねることが報道カメラマンとしての信念である。
■能登被災地で見た破綻と希望
能登半島地震の発生から1カ月後、石川さんは石川県輪島市に入った。
輪島朝市で店を営む女性を訪れると、自宅や加工場が激しく損壊し、能登伝統の魚醤「いしる」を仕込む樽も壊れていた。
海底隆起によって漁船が出港できず、金沢市で新たな加工場を設立せざるを得ない窮状に対し、「漁さえ復活すれば、輪島に戻って加工したい」と再起への強い決意を口にした。
作家でもある石川さんは現地取材を通じて「地震は多くの人の平和を奪った」と寄稿文に記す一方で、出会った人々の強い思いから感じた復興への確かな希望を伝えた。
■病を抱えながら激動のベトナムへ
68歳の時に心筋梗塞で一時心臓が停止して以来、石川さんは毎月の通院と服薬を続けながら取材を重ねている。
2024年3月、86歳となった石川さんは、沖縄の学生ら6人とともにベトナムを訪れた。この研修は、戦後にPTSDと闘いながらベトナムへの謝罪と支援を続けた元米海兵隊員のアレン・ネルソン氏の遺志を継ぐ「アレン奨学会沖縄」が企画した。
かつて沖縄がベトナム戦争の出撃基地であった歴史を踏まえ、石川さんは事前に沖縄の大学や高校で講演を行い、共に現地へ赴く若者を募っていた。
■写真を通じ現場の真実を次世代へ
ホーチミン市にある戦争証跡博物館には、石川さんの撮影した写真120点や愛用のカメラが展示されている。
石川さんは現地で、戦場で足を撃たれ、負傷したことがもとで生活が破綻した男性の写真を示しながら、「戦争によって一家が壊される」と日本とベトナムの若者たちに語りかけた。
教員を目指し研修に参加した大学生は、実物の兵器や被害の記録を目の当たりにし、「ここで自分が感じたことや言葉で子どもたちに伝え、平和を守る方法を一緒に考えていきたい」と決意を語った。
