真っ白な色合いと緑のラベルがトレードマークの乳性炭酸飲料「愛のスコール」が、2026年で誕生55周年を迎えた。爽やかな甘みとシュワっと広がる炭酸で全国にファンを持つロングセラーだが、その誕生の裏には、昭和の小規模酪農家を救いたいという思いと、「牛乳と炭酸は混ざらない」という業界の常識に挑んだ熱いドラマがあった。
「愛のスコール」誕生55周年の軌跡
スコールが生まれたのは今から55年前。

♪さわやかな自然を飲もう~愛のスコール~♪
懐かしいCMを覚えている人もいるのではないだろうか。

スコールを製造しているのは、宮崎県都城市に本社を置く南日本酪農協同だ。1954年に制定された酪農を巡る新たな法律によって苦境に立たされた南九州の小規模酪農家を救うために設立された。

南日本酪農協同 百丸俊昭社長:
酪農振興法ができた関係で(小規模な酪農家は)生乳の加工、製造ができない。工場の建設すらできない状態でした。
生産から処理、加工までを一貫して行う会社としてスタートした同社だが、設立当初は冬場に牛乳の需要が落ち込むと、タンクからあふれた生乳を廃棄せざるを得ない「余剰乳」の問題に直面した。

そうした中、初代社長・木之下利夫氏にスコール誕生のきっかけとなるある出来事が起こった。

百丸俊昭社長:
(木之下初代社長が)仲間と鹿児島の海岸に磯釣りに行っていたときに、クーラーボックスの中でこぼれたサイダーと牛乳が混ざったのを見てひらめいた。牛乳嫌いの子供でも、炭酸で割った牛乳であれば飲めるのではないかという発想のもとにできた。
「牛乳と炭酸は混ざらない」常識を破った技術
新商品のアイデアを得たものの、実現への道は険しかった。

当時の乳業業界では、牛乳に炭酸を合わせると乳成分の一部が固まってしまうため、「両者は混ざらない」というのが共通認識であったからだ。

百丸俊昭社長:
当時はパソコンもない時代で、紙の膨大な資料があった。スコールができるに至る理論と工程について、ものすごく緻密な計算がされていた。とても今では真似できない。
こうして誕生したのが通称「スコールパウダー」。

乳成分を粉末にすることで炭酸に混ぜても成分が固まらず、現代ほど冷蔵技術が発達していなかった当時でも簡単に保存ができるようになった。
百丸俊昭社長:
当時から“先駆独創”という考えが会社の根底にあったということで、新しいことに挑戦したり、日本初の商品を作りたいといった強い思いがあったようです。

こうしたパイオニア精神は今も受け継がれ、これまでに開発されたスコールは延べ100種類以上。

また、菓子などの関連商品や、人気キャラクター「シナモロール」とのコラボレーションを期間限定で行うなど、多角的に展開されている。

宮崎空港では発売55周年を記念した期間限定ストアが開設され、発売当初に使われていた瓶やケースが並び、にぎわいを見せている。(2026年9月13日まで)
兵庫県民:
銭湯でお風呂上がりに牛乳などを飲むじゃないですか、それと同じように(昔は銭湯に)置いてありました。
東京都民:
他のどの飲み物にも似てないおいしさがありますし、飲んだ後に「懐かしいな」という感じがするので好きです。

空港で行われた調査によると、宮崎県民(30人)全員がスコールを飲んだことがあると回答、県外出身者(30人)は約85%が飲んだことがあると回答した。一方で、県外出身者で「宮崎生まれ」だと知っていた人はわずか1割程度にとどまった。
「どこが発祥か考えたこともなかった」「あって当たり前の存在」として、スコールは地域発の飲料という枠を超え、全国的なロングセラーとして定着している。
百丸俊昭社長:
酪農家を母体としてできた会社ということと、乳を扱う専業乳業メーカーとして、どうしても特徴ある乳製品を作りたいという強い思いがあったし、今もあります。
宮崎が全国に誇る愛のスコール。そこに込められた牛乳への愛と特徴ある商品を開発したいという思いは、誕生55周年を迎えた今も熱く受け継がれている。
(テレビ宮崎)
