ビーチバレー甲子園「マドンナカップ」30年の軌跡
女子高校生のビーチバレー日本一を決める「マドンナカップ in 伊予市」。
愛媛県伊予市の五色姫海浜公園で毎夏行われるこの全国大会は、今年記念すべき第30回目を迎えた。
ビーチバレーを知る人も少なく、当初は「スイカのゴムボールでやるんですか?」と言われた時代。
世界を目指す選手を輩出する舞台に進化した大会。
砂浜で積み重ねられてきた“30年の歴史”を振り返る。
佐伯美香さんはインドアからビーチバレーに転向
今から29年前の1997年8月に松山市の城山公園で行われた第1回大会は、テニスコートに砂を敷いた特設コートが会場だった。
今や夏の恒例行事となった、ビーチバレーの高校生日本一決定戦「マドンナカップ」誕生の瞬間だ。
そんな「マドンナカップ」の誕生に“なくてはならない存在”の1人が、松山市出身の佐伯美香さんだ。
インドアバレーボールの日本代表でエースだった佐伯さんは、1997年3月、ビーチバレーに転向した。
当時ダイキの社長だった故 大亀孝裕氏は、「シドニー五輪にかける意志は大変強い。私は彼女に圧倒されました」と話し、日本初ビーチバレーのプロクラブ「ダイキヒメッツ」を松山に立ち上げた。
2000年のシドニー五輪出場を目指し、愛媛出身選手たちの挑戦が始まった。

「ビーチバレー」自体メジャーな競技ではなかった
松山市内に、専用の屋内練習場「ひめっこビーチコート」が、チームの拠点として整備された。
当時、スポーツの実業団チームを抱える企業が支援から撤退する動きが広がる中、会社の名前を背負った“新たな船出”だった。
さらに、ダイキ(当時)の故 大亀社長は「世界的なテニスのナブラチロワ、クリスエバート、こういった人に来てもらって、身近なところでスポーツの国際化が始まってきたと感じた。愛媛県の選手にとっても大きな刺激になる」と話し、高校生が出場する全国大会を創設しようという動きが始まった。
当時を知る関係者も…。
愛媛県ビーチバレーボール連盟・川井隆広理事長:
「全国大会をやりたいという話になりまして。せっかく佐伯さんなので女子の大会を、当時なかった高校生の全国大会を愛媛でやろうということになりました」
全国的にも「ビーチバレー」はまだまだメジャーな競技ではなく、佐伯さんも当時をこう振り返る。
佐伯さん:
「取材に来る方もビーチバレーなんて知らないので、『あのすいかのボールでするんですか?』と言われたような時代だった」

「ビーチバレーの聖地に」伊予市が開催を受け入れた
五色姫海浜公園を『ビーチバレーの聖地に』
1999年の第3回大会から、伊予市が開催地を受け入れた。
ただ、愛媛県ビーチバレーボール連盟の岡本勝事務局長が「大変でした、それは」と振り返るように、初めて砂浜で開催する大会は関係者にとって手探りの連続だった。
岡本 事務局長:
「砂浜にポールを立てなくては試合にならんので、最初は穴掘りから始まって。これが一番大変でした。半日くらいかかりました。ポールが立つまでに」
スタッフが力を合わせて作った4面のコートを舞台に、全国のマドンナたちが躍動した。

マドンナカップの普及・育成活動も徐々に実を結ぶ
翌年の2000年。
日本ビーチバレー界に新たな歴史が刻まれた。
実況:
「mika saiki!」
ビーチバレー日本代表としてシドニー五輪のコートに立った佐伯美香選手とペアの高橋有紀子選手。
優勝候補のアメリカを破り、メダルまであと一歩となる4位入賞を果たした。
この快挙に、県内でも大きな反響が。
アイテムえひめに特設のビーチコートを作って行われたイベントには、約1300人の観客が集まった。
この熱量は2004年のアテネ(徳野涼子、楠原千秋ペア)、2008年の北京(佐伯美香、楠原千秋ペア)と3大会連続で、ダイキヒメッツの選手が五輪に出場するという流れにつながった。
マドンナカップも、全国の高校生ビーチバリヤー育成に着実につながっていく。
2002年、佐伯さんの指導を受けプレーした県立川之石高校の古田良美・道岡望ペアが、大会6回目で県勢として初めての優勝を飾った。
歴史を重ねるうちに、全国の参加校が増え、強豪校も誕生。
未来のヒロインが、マドンナカップから多く誕生した。

ビーチバレーボールが国体スポーツの正式種目に
2017年のえひめ国体では、ビーチバレーボールが国体スポーツの正式種目になった。
元日本代表の楠原千秋さんが、ふるさと愛媛を背負って戦った。
2年後には少年種目にもなり、コロナ禍を経て全国各地で高校生世代の強化が本格的に始まった。
去年、愛媛代表としてマドンナカップに出場した西条高校3年の宇都宮萌里さんは、日本代表として、18歳以下の世界選手権にも出場。
マドンナカップを経て「自信をもってプレーができた」と話す。

「マドンナカップがきっかけです」
「マドンナカップがきっかけ」で人生を変えたというOGもいる。
白鳥歩さん:
「マドンナカップで優勝したので、私はビーチバレーボールに転向しようと思いました。こんなにおもしろい競技があるのかと」
第7回大会優勝、赤いバンダナがトレードマークだった白鳥歩さん。
現役引退後は指導者となり、アメリカで自身のステップアップに励んでいる。
白鳥歩さん:
「現地のチームにいさせてもらう中で、コーチのあり方、考え方、現場のスキルを学ばせてもらっているので、(将来)強い国と互角に戦いたいなと思っています」

マドンナカップから世界へ
たくさんの思いと歴史をつないできた愛媛のマドンナカップ。
“オリンピアン”佐伯さんも「マドンナカップ30年という歴史が出来てきて、若い世代から上を目指せる目標ができた。マドンナカップから世界を目指す選手が、たくさん輩出されることを期待しています」と話す。
今年、愛媛からは、宇都宮萌里(西条)・境心葉(FC今治里山)ペアと、首藤真奈(西条)・藤本夏希(今治北)ペアが出場。
30回目の大舞台に、今年も全国のマドンナたちが砂浜で輝いた。


