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プレスリリース配信元:学校法人明治大学




概要
 明治大学農学部の新屋良治教授や米国カリフォルニア工科大学のPaul W. Sternberg教授らを含む国際共同研究チームは、線虫 Caenorhabditis remanei注1) のオスが、メスを誘引する「空気中を漂う性フェロモン注2)」を放出していることを発見しました。
 研究チームが同定した化合物は、methyl 3-methyl-2-butenoate(MMB)注4)です。C. remanei のオスはMMBを空気中に放出し、メスはその匂いに強く引き寄せられます。本研究は、線虫において揮発性性フェロモン注3)を初めて同定した成果です。
 驚くべきことに、このMMBは、線虫を捕食するカビ Arthrobotrys oligospora 注5)が獲物を誘い寄せるために放出する匂い物質として、すでに知られていた化合物でした。つまり、線虫で初めて見つかった“恋の匂い”は、捕食者が獲物をおびき寄せる“罠の匂い”でもあったのです。
 これまでMMBは、線虫の性フェロモンをまねた化学擬態物質注6)である可能性が指摘されていました。本研究は、MMBが実際に線虫オス由来の性フェロモンであることを明らかにし、線虫を捕食するカビがその匂いを利用して獲物をだましているという見方を強く裏付ける成果です。

本研究成果は、2026年7月1日 のNature Portfolio の国際学術誌「Communications Biology」に掲載されました。

背景
生物は、匂いやフェロモンなどの化学物質を使って、餌、天敵、配偶相手などに関する情報をやり取りしています。中でも性フェロモンは、異性を見つけるための重要なシグナルであり、昆虫などでは古くからよく研究されてきました。

線虫は、土壌、水中、植物、動物体内など、地球上のさまざまな環境に生息する小さな動物です。モデル生物として有名な Caenorhabditis elegans を含め、線虫でもフェロモンを使ったコミュニケーションが知られています。しかし、これまで線虫で主に知られていた性フェロモンは、水中や培地中を拡散する化合物でした。昆虫のように、空気中を漂う匂いで異性を探す仕組みが線虫にもあるのか、その化学的な実体は分かっていませんでした。

一方で、線虫を捕食するカビ Arthrobotrys oligospora は、線虫を誘い寄せる匂いを放出することが知られていました。このカビは線虫をおびき寄せ、特殊な捕獲器官で線虫を捕まえて栄養にします。先行研究では、このカビが放出するMMBという化合物が、Caenorhabditis 属線虫のメスや雌雄同体注7)を強く誘引することが示されていました。

そのため、MMBは線虫の性フェロモンをまねた化学擬態物質ではないかと考えられていました。しかし、線虫自身がMMBを性フェロモンとして使っているかどうかは分かっていませんでした。

研究成果
研究チームは今回、線虫のオスがメスを誘引する「空気中を漂う性フェロモン」の同定に挑みました。
その結果、雌雄異体性の線虫 C. remanei のオスからMMBが検出されました。一方、C. remanei のメス、モデル線虫 C. elegans のオスや雌雄同体からはMMBは検出されませんでした。つまり、MMBは少なくとも C. remanei において、オスが特異的に放出する匂い成分であることが分かりました。

さらに、合成したMMBを用いて線虫の行動を調べたところ、C. remanei のメスはMMBに強く引き寄せられました。一方、C. remanei のオスはMMBに誘引されず、一定の濃度ではむしろ避ける傾向を示しました。

これらの結果から、MMBは C. remanei のオスが放出し、メスを誘引する揮発性性フェロモンであることが明らかになりました。

特に重要なのは、今回同定されたMMBが、線虫捕食性カビ A. oligospora が獲物を誘い寄せるために使っていた匂い物質と同じだった点です。線虫で初めて見つかった“恋の匂い”は、捕食者にとっては獲物をだます“罠の匂い”でもありました。

本研究は、線虫における揮発性性フェロモンを初めて同定するとともに、捕食者が獲物の配偶行動に関わる匂いを利用していることを示したものです。自然界では、私たちの目には見えないところで、匂いを介した巧妙な「だまし合い」が繰り広げられていると考えられます。

今後の展開
本研究により、線虫にも空気中を漂う性フェロモンを使った雌雄間コミュニケーションが存在することが明らかになりました。今後、農作物や樹木に被害を与える植物寄生性線虫などでフェロモンの同定が進めば、線虫の行動を人為的に操作し、誘引、捕獲、交尾阻害などを利用した新たな防除法の開発につながる可能性があります。

また、線虫と線虫捕食性カビが放出する匂い物質をさまざまな種で比較することで、自然界で繰り広げられている化学シグナルを介した複雑な生物間相互作用が明らかになると期待されます。特に、捕食者が獲物の性フェロモンをまねて誘い寄せる「化学擬態」や「だまし合い」は、目に見えない土壌生態系の理解に新たな視点を与えるものです。

社会的意義
自然界では生物たちが匂いや化学物質を使って複雑な情報交換を行っています。本研究は、線虫が配偶相手を探すために使う性フェロモンが、捕食者によって“罠”として利用されている可能性を示しました。

これは、化学シグナルが単なるコミュニケーション手段ではなく、時に相手をだますための武器にもなることを示しています。匂いを介した生物間相互作用の理解は、生態系の仕組みを解明するうえで重要です。

また、線虫の中には、農作物や樹木に深刻な被害をもたらす植物寄生性線虫も多く含まれます。線虫の行動を制御する匂いやフェロモンの仕組みを理解することは、将来的に、有害線虫を誘引・捕獲したり、その行動を撹乱したりする新しい防除技術の開発につながる可能性があります。こうした観点から、研究チームは現在、寄生性線虫においても類似のフェロモン物質の探索を進めています。

補足説明
注1)線虫
線形動物門に属する多細胞動物。多くは体長1 mm前後と小さく、土壌、水中、植物、動物体内など多様な環境に生息しています。地球上で最も個体数の多い動物群の一つであると考えられています。

注2)性フェロモン
同種の異性に対して、誘引や交尾行動など、繁殖に関わる行動を引き起こす化学物質のことです。

注3)揮発性性フェロモン
空気中に揮発し、離れた個体に匂いとして感知される性フェロモンのことです。水溶性のフェロモンと異なり、培地や水中での拡散に依存せず、空気を介して作用します。

注4)MMB
methyl 3-methyl-2-butenoate(3-メチル-2-ブテン酸メチル)の略称。本研究では、C. remanei のオスが放出し、メスを誘引する揮発性性フェロモンとして同定されました。

注5)線虫捕食性カビ
線虫を捕らえて栄養にするカビの総称です。Arthrobotrys oligospora は、線虫を誘引し、捕獲器官を形成して線虫を捕食する代表的な線虫捕食性カビです。

注6)化学擬態
ある生物が、別の生物の化学シグナルに似た物質を産生または利用することで、相手の行動を操作する現象です。本研究では、捕食性カビが線虫の性フェロモンを利用して獲物を誘引している可能性が示されました。

注7)雌雄同体
1個体が雌性配偶子と雄性配偶子の両方をつくることができる繁殖様式のことです。C. elegans では、通常、雌雄同体が自家受精により子孫を残します。

論文情報
掲載雑誌:Communications Biology
論文名:A male-derived volatile sex pheromone in Caenorhabditis nematodes identified through its mimicry by a predator
著者:Matthew R. Gronquist, Xuan Wan, Daniel Leighton, Yuki Togawa, Marika Sagawa, Paul W. Sternberg, Frank C. Schroeder, Ryoji Shinya
DOI:https://doi.org/10.1038/s42003-026-10575-4

研究助成
本研究は、科学技術振興機構 創発的研究支援事業 JPMJFR210A(代表者:新屋良治)、日本学術振興会 科学研究費助成事業 研究活動スタート支援17H07161(代表者:新屋良治)などの支援を受けて行われました。

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