絹糸となる繭を作るカイコ。

カイコと言えばクワの葉を食べるイメージがあると思うが、どうやってクワの葉だけを選んでいるのかご存知だろうか?実は超高感度の「味覚の2段階認証システム」で選別しており、この事実を東京農工大学の研究グループが明らかにした。

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研究では、カイコの味覚器官でヒトで言えば舌に似たような役割をする、小顋肢(しょうさいし)と小顋粒状体を除去してカイコがクワを食べる様子を観察した。すると、小顋肢を除去したカイコは触診してもクワ葉を咬まなくなり、小顋粒状体を除去したカイコは味見まで行うものの咀嚼をしなくなったというのだ。

カイコの味覚器官
カイコの味覚器官

カイコは植物の葉と出会うと、まず小顋肢を葉面に押し付けて「触診」。クワの葉と認識すると高確率で「試し咬み(味見)」へと移る。このクワ認識が“味覚の認証システム第1段階”となる。

カイコの小顋肢は、クワの葉に含まれる3つの物質を超高感度に検出できる味覚神経を持つ。ヒトの味覚で最も感度が高いとされる苦味において、カイコはその10億倍以上低い濃度からクワの葉の味を感じることができる。この超高感度センサーを用いて、ごくわずかな味物質しか存在しない葉っぱ表面を触診し、クワの葉を探し当て、試し咬みをするのだという。

そして、カイコが「試し咬み」すると葉の内部から組織液が滲み出てくる。今度はこの液に含まれる高濃度の糖を、もう一つの味覚器官である小顋粒状体で認識することで、連続的な咬みつきである「咀嚼(そしゃく)」が行われるというのだ。この糖のチェックが“味覚の認証システム第2段階”となる。

なおカイコの小顋粒状体が持つ味覚神経は低感度で、「咀嚼」を引き起こすには、その神経を興奮させるほど高濃度の糖が必要となる。まれにクワの葉以外の植物を「試し咬み」することもあるが、その場合はクワ以外の葉と認識して「咀嚼」までにはまず至らないということだ。

カイコの段階的摂食
カイコの段階的摂食

つまりカイコは、「触診」→「試し咬み」(試し咬みへの誘導=第1段階認証)、そして「試し咬み」→「咀嚼」(連続摂食=最終的な認証)という2段階の認証によって、「異なる味覚器官」で「異なる味」を順序通りに感じて、クワの葉のみを選んで食べているということが分かったのだ。

カイコの2段階認証システム
カイコの2段階認証システム

コンピューターのセキュリティシステムのように、クワの葉以外は受け付けないカイコの「味覚の2段階認証システム」。そもそ、なぜこのようにしてカイコは葉を選んでいるのだろうか? また超高感度の味覚だとすると、クワの葉の中でも好き嫌いがあったりするのだろうか?

当時東京農工大学に所属していた、今回の研究代表者の遠藤悠(現東京大学大学院)さんに話を聞いてみた。

50年前から“第1システム”に気付いていた

ーーそもそもカイコってどういう昆虫?

カイコはガのなかまの一種で、約6000年前から人間によって飼育され、家畜化された昆虫です。幼虫はクワの葉を食べ、体長約5〜7センチまで成長します。ふ化してから成虫になり次世代の卵を産むまで、50日ほどで一生を終えます。

カイコの幼虫
カイコの幼虫
カイコ 繭→成虫
カイコ 繭→成虫

ーーなぜ、「カイコの『味覚の2段階認証システム』」を研究したの?

カイコがクワだけを食べるように、植物を食べる昆虫の多くは特定の植物葉のみを食べます。このような昆虫がどうして特定の葉しか食べない食性を持っているのかについては、今までも多くの研究がなされてきました。

50年ほど前には、どうやら昆虫は葉っぱの表面を触診するだけで、食べられる葉と食べられない葉を区別することができていそうだというところまで、昆虫学者は気づいていました。しかし、どうして葉っぱの表面だけで判断できるのか、そのしくみは不明のままでした。

これを明らかにするため、私たちのグループはカイコがクワを食べる時の行動を丹念に観察しなおすところから、研究をスタートすることにしました。


ーー「味覚の2段階認証システム」を発見してどう思った?

「小顋肢という味覚器官を切除するとカイコがクワを咬まなくなる」と論文の筆頭著者である常藤加菜さん(当時大学院博士前期課程)から聞いた当初は、あまり信じられませんでした。そんな単純なことなら、既に他の研究者が報告していてもおかしくなかったからです。

しかし、いろんな角度から実験を重ねて「2段階認証仮説」にたどり着くと、私たちの結果と今まで報告されてきた知見が矛盾なく説明できるように思えました。小顋肢が超高感度の味覚を持つことが判明したあたりで、やっとほぼ間違いなさそうだという自信が持てました。これらの発見は、常藤さんの鋭い観察力と、ごく小さな味覚器官を正確に切除する解剖テクニックがもたらしたものです。

毒を含む葉を食べないための“2段階認証システム

ーーなぜ、カイコは「味覚の2段階認証システム」を持つの?

昆虫と植物は「食べる・食べられる」関係でせめぎ合いながら進化してきました。そのなかで、植物は昆虫にとって毒となる化学物質を作るなど、食べようとする昆虫に対抗してきました。毒を含む葉っぱを間違えて食べると昆虫は死んでしまいます。そのようなシビアな環境を生き抜くために、昆虫は食べられる葉っぱを正確に選ぶことができるシステムを持つことが必要だったと考えられます。

カイコがクワを食べることができるのは、進化の過程でカイコがクワの作る毒だけは分解できる能力を獲得したからです。

ーー超高感度の味覚を持つというけど、クワの葉の中でも好き嫌いはあったりする?

私が知っている範囲では、カイコはマグワ、ヤマグワ、ハリグワといったクワ科クワ属の植物葉を食べて成長することができます。

今回の私たちの実験で用いたのはマグワだけで、これらのクワの中でどれが好きかを調べたことはありません。どれも好きに変わりないと思いますが、味成分や葉っぱの硬さの微妙な違いで若干の好みはあるかもしれません。葉がしおれていたり、カビが生えて病気だったりして葉っぱの状態が悪いとクワでもあまり食べません。


ーーまれにクワ以外の葉も「試し咬み」するそうだが、クワ以外を食べて大丈夫?

小顋肢で葉の表面をチェックして間違って試し咬みしてしまった時、次は葉を噛み砕いてにじみ出た味を小顋粒状体でチェックします。ただ、小顋肢や小顋粒状体という味覚器官は口の外にあるため、この段階ではまだ口の中に入っていませんし、飲み込んでもいないので問題ありません。

ヒトで例えるなら、舌で舐めたらとても苦いので食べるのをやめたという状況に近いです。カイコは2つの味覚器官を使って二重にチェックすることで、口に入れる物をかなり慎重に選んでいます。

約90%が1段階目で1分以内にクワを認識

ーークワ以外の葉も「試し咬み」することがあるということは、実は第一認証は緩かったりするの?

これはとても鋭い質問で、確かにクワ以外のものは1段階目だけでなく、2段階目まで含めたトータルで完全に拒絶できるようなシステムになっています。しかし一方で、1段階目で約90%のカイコが葉っぱ表面の情報だけで、1分以内にクワを認識することができます。

これは他の植物の葉っぱに試し咬みする確率と比べるととても高く、どちらかと言えば「1段階目でクワだけは絶対に逃さず認識できる」ことが触診の段階のものすごい能力であると言えます。

カイコがタンパク質生産の世界的ツールに?

ーー研究結果は、今後何に役立つ?

機能性シルクや医療用タンパク質の生産など、カイコを使った新しい産業が注目されています。これらの産業では昆虫工場でカイコを大量に飼育する必要があります。

本研究成果を足がかりに、コストや質の点でさらに改良した人工飼料を開発できるかもしれません。また、人工飼料を食べずクワでしか飼育できないカイコの系統もいますが、それらの系統にも適用できる飼料の開発も期待されます。このようにクワがなくてもどこでもカイコが飼育できるようになれば、カイコがタンパク質生産の世界的ツールになっていくかもしれません。

また、「触診→試し咬み→咀嚼」という行動そのものは植物を食べる昆虫の多くで報告されており、2段階認証システムは他の昆虫でも使われていると考えられます。これらの研究が進めば、害虫の味覚を撹乱させて作物の食害を防ぐ新しい害虫防除法の開発につながるかもしれません。


ーー今後の研究への意気込みを教えて

今回の研究は、50年前でもできたような実験技術ばかりを使っており、現代の技術が発達したから可能になったものではありません。生物学の基本である観察の大切さ、つまり生き物そのものをしっかり見つめながら研究していくことの重要性を改めて感じました。

今後は、最先端の技術もきちんと駆使して、昆虫の味覚システムをより詳細に明らかにしていくことで、昆虫と特定の植物との関係が進化の歴史の中でどのように成立してきたのかに迫りたいと思っています。また、そこから得られた知見をカイコの産業利用や害虫防除、生物多様性の保全などあらゆる方面に活用することにも積極的に取り組みたいです。

新しい物事というのは実は自分の身近な所に潜んでいて、私たちが気づかないでいるだけなのかもしれない。もう一度自分の身の回りを見直してみると、今回のカイコのように新事実が隠れているかもしれない。

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プライムオンライン編集部
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