戦後にシベリアに抑留され、妻と4人の子どもを残して亡くなった島根県西ノ島町出身の山本幡男。
2022年に公開された映画『ラーゲリより愛を込めて』の主人公のモデルにもなりました。
困難な時代を生き抜こうとした姿を改めて知ってもらおうと、松江市で講演会が開かれました。

山本幡男を顕彰する会・岡田昌平会長:
(西ノ島町長を辞めるときに)山本幡男のことを本だけで終わってしまうなと思って。これから山本幡男の顕彰碑を建てようと思って、建てれば姿がありますので、必ず話題になるはずだから。

松江市で開かれた講演会、講師を務めたのは「山本幡男を顕彰する会」の会長、岡田昌平さん。
西ノ島町長を4期16年務めたあと、地元出身で映画『ラーゲリより愛を込めて』の主人公のモデルになった山本幡男の生き方を称え、広く知ってもらう活動を続けています。

山本幡男を顕彰する会・岡田昌平会長:
希望を失ったら死んでしまうから必ず帰国することはできる、(帰国を)ダモイというが、ダモイ(帰国)はあるから日本に帰った時に捕虜ボケと言われないようにしようと勉強会を立ち上げるんです。

山本幡男は明治41(1908)年に現在の西ノ島町に生まれ、25歳の時に結婚して4人の子どもをもうけたあと、当時の「南満州鉄道」調査部でソ連、ソビエト連邦の情報収集と分析にあたりました。

その後、昭和19(1944)年に召集され、終戦後はソ連に抑留され収容所に送られました。
シベリアの極寒、劣悪な環境での抑留中、山本は収容所内で密かに俳句サークルを結成するなど文化活動を通じて日本人捕虜を励まし、生きる希望をつなぎました。

昭和29(1954)年に咽頭がんのため45歳で亡くなりますが、仲間の勧めで家族に宛てて4通の遺書を残していました。
4500字にものぼる遺書。
収容所から手紙などの文書を持ち出すことはスパイ行為とみなされたため、仲間たちは遺書の一字一句を暗記して日本に持ち帰ることを決意、妻・モジミのもとに届けました。

このエピソードは1989年、作家の辺見じゅんさんがノンフィクションとして「収容所から来た遺書」を出版、2022年に映画化されました。

岡田さんは、町長在任中の1998年に『顕彰する会』を立ち上げ、各地で開く講演会などを通じて山本の功績やその生き方を伝えています。
地元・西ノ島町には「遺品展示室」を開設、映画化をきっかけに生家跡に記念公園もつくりました。

山本幡男を顕彰する会・岡田昌平会長:
苦しい時ほど明るさというのが大事だと思う。山本幡男さんは持って生まれた根アカ、あれがすばらしいところだと思う。講演とか紙芝居とか動画で山本幡男さんの行動を知ってもらいたい。

岡田さんは、世界情勢が緊迫し先行きが不透明となる今こそ、過酷な運命に負けず、希望をもって困難な時代を生き抜こうとした山本幡男の精神を、次の世代に伝えていきたいと話しています。

TSKさんいん中央テレビ
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